その578

意識が現実と思うことが時とともに移ろっていく。現実は意識がつくっているといっても過言ではない。意識が現実と思うことは、例えば一生のうちでも変容していく。500年後の現実がいかなるものか、それは意識がどんなことを現実と考えるかによる。 世界をど…

その577

合理性が現実を捉えているとき、その合理性によって示された意味は私たちにとって理解可能にある。理解可能がゆえに実在していることになる。世界のある現象について語るのが合理性であるとき、ある現象と私たちの関係が合理性なる現象によって明らかになる…

その576

同一律を廃した1+3=4は、1も3も4もそのうちに同一の1を持っていない。そのときなぜ1+3=4が成立するのか。1つの赤い点を持った棒が一本と3つの赤い点を持った棒が一本あり、それらを足せば、棒は二本だが、点は4つ。数式は意志を持っている。…

その575

方程式の右辺と左辺には、それぞれが持つ量があり、その量が等しい。等しいことの意味がバランスが取れている。あるいは、釣り合っている。つまりは、何かと何かがあって、それぞれの持つ量を秤のうえに置くと、右辺の持つ量と左辺の持つ量が同一で完全にバ…

その574

1+2=3なのは、2にも3にも同一の1がその背景としてあるからだ。これを同一律と呼ぶことができる。現行の数学では、その背景、つまり、数学でも用いられる数の背景には同一律が潜んでいる。同一律といった約束事を共有することで成立しているのが現行…

その573

認識はその基盤の影響下にある。基盤がいかにあるかで、いかなる認識を持つことができるか。合理性といった基盤のもとで得ることのできる認識からは不合理性が排除される。不合理であることそれ自体には相応の意味がある。価値があるといってもいい。はちゃ…

その572

証明されたすべてのありようは、それ以上証明できない。しかし、確かなことが確かであるかどうかを私たちは確かめることがある。むろんそれは、その証明された事実が合理的であるといったことのおいて確かであるといった意味であり、合理的であっても実際の…

その571

関係があるか、ないか。それは私たちの認識内においてのことで、いや、私たちが不在であっても、関係のあるなしがあるのではないか。なぜ関係があることがあって、関係がないことがあるのか。関係があるのを理解できるとしても、関係がないとは、つまり、関…

その570

同一の地平にあって、関係のないAとBがあるとする。同一の地平にあることの意味は共有していても、一切の関係を持つことがないAとBは、相互に触れ合ったとしても交わることがない。たとえば、そんな意味で関係がないことを述べることができる。 あるいは、A…

その569

透明な関係性とは何か。透明であることは、見ることができないことを意味する。いや、透明は透明として見える。しかし、透明で示された線は見えない。透明で示された線とは、私たちに見えないだけで、実際には確かにある。私たちにとって透明な線がこの世界…

その568

あらゆる言葉は存在を限定する。むろん、存在は限定的だ。無限ではない。際限がないとしても、一瞬のうちに無限があるのではない。果てしない運動が続くとしても、今この瞬間にその無限があるのではない。有限個あるなかでさらに何かが増加する。あるいは減…

その567

意味が同じとは何か。川という言葉の意味がいかにあるか。一つだけではないが、一つの意味がさまざまな異なった場で使われることがある。異なった場で使われる一つの意味は同一か。意味は言葉のうちで完結していない。言語超越的に意味がある。そのとき、意…

その566

1と2がそれぞれ同じ意味であるとき、1も2も、その内実における量が同一である。1が1であるときの1と、2が2であるときの2における、その内実のたとえば1と1はまったく同一の1である。2は同一の1と1からできている。完全に同じ意味の1と1か…

その565

そもそも1.2とは何か。1.2に特別な意味はない。1.4でも、1.5でもいい。1.2とは、1に0.2が加えられた状態と考えられるが、それだと、1がどんなものであるかがまず規定されたうえで、その1のうちの0.2分が1に加算されたことを意味す…

その564

0≠0.0の意味には、0が完全無。一切なにもないことを意味し、0.0は何もないのではなく、ないにはないが、確かにそのように認識されるが、そのなさが関わりにある世界の深層には何かが潜んでいるかもしれない。そんな状況を0.0は表している。 0.0の意…

その563

小数点以下、無限にゼロが続いていったとき、つまり、0.000000…に終わりがなく、ただひたすらゼロが続いていくとき、それは何も示されていないことを意味するのか。いや、ゼロが続いて増えていくことの意味とは、何かが深層で動いていることを意味する。数が…

その562

0.0000000・・・が続いていきさえすれば、最後に1がつかなくても、何かがあるのかないのか。小数点以下にずっとゼロが続いていっていること自体、何かが在ることの証左ではないか。つまり、運動がなされているから、小数点以下にゼロがずっと連なっていく。…

その561

何かがなくなった瞬間を有の側が所有しているとする。何かの完全消滅は、その痕跡を有の側が所有するとしたとき、いや、あらゆる消滅はその痕跡となり有の側にあるなら、この世界に完全消滅は一切実在しないことになる。世界のすべてはその痕跡の上に現れて…

その560

物質の運動は、相互作用による、その安定にある。構造を持つ物質は、その安定のことだ。自然とは、不規則な状況が規則的な安定に向かっていく、その運動にある。まずもって運動がある。それがいかなるものか。どのように運動しているか。運動それ自体が存在…

その559

運動が規則的なのか、完全に不規則なのか。それは、運動を完全に客観的に捉えなければ、判明しない。かりに純粋客観が神の視点からしか持つことができないとき、私たちは、不規則なような運動がほんとうに不規則かどうかを知り得ることができない。確証がど…

その558

構造化していない粒子があるとしても、構造として認識されていないだけの可能性がある。ランダムで、不規則な振る舞いをする粒子がそのようなランダムさを抱えているとしても、それが単に認識上での話にすぎず、かつ、その認識が現況における認識の限界であ…

その557

この世界にはいくつもの系がある。構造のことだ。それはなぜか。すべてが相互反応するからだ。相互反応することそれ自体がアプリオリにあるとき、すべては系を持つ状況に落ち着くことになる。反応し合うことで、相互に相性の良し悪しによって系を生む集まり…

その556

物質の形状なり、そのありようを最終的に決定するのは自然だ。人の手が加わっていても、その手が最終的な結果を導き出すことはできない。この意味で自然は閉鎖していく力を持つのではないか。何かがあっても、ばらばらに散らばらない。散らばったようなもの…

その555

物質それ自体が空間であり、物質である空間は時間の経過の運動により変化していく。時間の経過といったことがエネルギーになり、物質は変化していく。なぜ物質は変化していくのか。その原因のひとつに時間の経過がある。時間の経過が物質を変化させていくこ…

その554

自己組織化の運動が起こっているとき、そこには確かな場ができている。場とは構造化された時空とひとまず考えることができる。構造化した時間と空間があることの意味とは何か。時間と空間は絶対的なものではない。動的な時間と空間は相互反応により構造化さ…

その553

交わっている。しかし、骨格がはっきりとあるものとしてのりんごがたとえばある。りんごにははっきりとその内部とその外部がある。しかし、外部と内部にはっきりと分かれているのではない。外部と内部を決定づけることとして骨格がある。むろん、構造と呼ん…

その552

存在の原因、つまり、それ自体があることが、他の何かと一切の関係がないことが原因となって、ありえていることが考えられる。何かと無関係だから、それ自体がある。関係を持つことになってしまえば、含まれてしまい、それ自体ではなくなる。それゆえに、何…

その551

知っているとは何か。いかなることか。関係していることであれば、そのすべてを知っているといってもいいのだろうか。精神のおいて捉えられていないからといって、その他のことを知らないのだろうか。知っているから、いや、知っているようにして、精神の外…

その550

何を知らないかについて知り得ることがあり、知り得ないことがある。何かを知らないとき、知らない何かがあるが、何について知らないのかまったく知らないとき、その知らない何かは精神とはつながっていない。物質的次元では、たとえまるで知らない何かであ…

その549

同一の現象を繰り返さない運動があるとき、その振る舞いとはこの世界においてカオスである。非構造的な運動は一度たりとも同じ振る舞いをしない。一刻、一刻とそのあり様がこの世界で更新されていく。カオスの運動は構造に含まれることがない。無軌道だ。軌…