その578

 意識が現実と思うことが時とともに移ろっていく。現実は意識がつくっているといっても過言ではない。意識が現実と思うことは、例えば一生のうちでも変容していく。500年後の現実がいかなるものか、それは意識がどんなことを現実と考えるかによる。

 世界をどこまで理解していけるか、そのことに終わりはない。永遠に何かを知らない。理解できること、現状ではできないこと。理解できていないことにも、限界がある。世界の何でもを理解できるはずはない。世界のすべてそれ自体がまず分からない。理解されたことがあり、それは事実としても、その事実にはさらなる次元が潜んでいる。なぜさらなる次元が潜んでいる何かを度外視して、理解が成り立つのか。なぜか個別な認識が成立する。認識対象は、広がりを持っていて、認識内において完結して実在するのではない。認識外とも関わりを持っているはずなのに、認識外にある事実を無効にしたまま、認識が成立することの意味とは何か。関係しているはずのことを考慮することなく、なぜ認識が成立するのか。合理性それ自体により捉えられることがあり、そうした対象は私たちの持つ機能である合理性によって閉ざされる。それ以上にある広がりを閉ざす力があること、つまり合理的であることで、何かに対する認識が成立する。合理的に認識された結果はそれ以上の広がりにあるにも関わらず、私たちの認識の枠内におさまる。それはなぜか。それはどうしてそのような結果を招くのか。私たちが認識していることそれ自体と世界のありようがいかなる関係にあるのか。事実か否か。それが問われている。事実として成立することにそれ以上の広がりがあるにも関わらず認識可能なのは、世界が階層的であることを意味しているのか。そもそもにおいて世界が階層的であるが故に、認識も個別に成立する。