2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

その113

そのものそれ自体が実際にある姿を見つめることはできない。認識は機能に由来した上での実在であり、機能とは存在に対する定義であり、認識主体の実在がなければ、何も存在し得ないのではない。存在は私たちの支配下にあるのではない。存在が私たちを支配下…

その112

存在することと、存在しないことがある。存在することとしないことははっきりと別れているのか。存在は運動であり、存在しないものが存在するようになることがあるのであり、存在するとしないの間にあるのが存在の運動ではないか。存在しているのは存在の停…

その111

何かが物質的であっても、その事実をもとに考えていったとき、その認識主体である私たちにとっては、その非物質性もまた現実となるのではないか。認識される何かがつねに物質的であり非物質的であるとき、私たちは触れ得るものを触れ、触れ得ないものをそれ…

その110

運動する実体が非物質であることは考えられない。形がないとしても、物質である存在はある。そのものが物質性を持ちつつも、同時に物質性を持たない存在があるのではないか。愛とは物質的な側面と非物質的な側面を同時に持っているのではないか。いずれかに…

その109

物質的であるとは何か。存在はするが物質的ではないこととは、愛や勇気などの観念だと言えるが、愛や勇気が物質的ではないと言い切れるか。誰かを愛している人は愛を物質的な次元で表現しているのではないか。愛されたとき、物質的な愛の恩恵を受けたのでは…

その108

感覚を物質的に捉えることは可能なのか。おおよその感覚なら実在しそうだが、厳密に感覚を把握することはできるのか。存在と機能の相互関係から浮かび上がる物質的な実在がなにかしらあるのか。感覚的把握により生じる物質があるならどこにあるか。存在する…

その107

知っているか、知っていないかに着目したとき、知っていることは知っていて、知らないことは知らない。知らないからといって関係ないことはないかもしれないが、知らなくてさらに関係のないこともあるのではないか。知っていることばかりと関わっているので…

その106

認識としての関係性は実在する。個々の存在がいかに関わり合っているかについて私たちは知ろうとする。知ろうとすることで生じる関係性は、存在そのものはその関係性を超えた実質の可能性を孕んでいる。私たちの認識する関係性以上の実質とは、存在のありの…

その105

主体としての個は人間以外にも実在し、個の実在が主体を意味するとしたとき、主体の実在はその外部との関係性を実在させる縁となる。関係性があると考えることは、なんらかの主体がまず実在しないといけない。関係性だけがあるのではない。それぞれの場を主…

その104

在るとは、存在することで、存在しないことではない。何かが在れば、それを認識する主体がなくても、在るものはある。私たちの存在は確かに認識主体としての実在であり、自ら以外の実在を存在すると認めることができる。遠くに星があることを確かに知ってい…

その103

いっしゅんのうちにすべてがあると措定したとき、そのうちなる関連性とはいかにあるか。関係性の連鎖がいっしゅんのうちにすべてを包含することはない。関係性の連鎖とは運動であり、いっしゅんといった時間のなかで、その蠢きがいかにある。一個のりんごを…

その102

現実とはフィシスであり、私たちの預かり知るところではない。個別の現象なら知り得ることがある。私たちが実存的に認識する何もは存在として確と実在し、ありのままの状況のいったんであると考えられる。りんご一個が実在するとき、物質的な次元でそのフィ…

その101

正しいことのみのが認識されるのではない。現実において誤った認識も私たちの実存において実在することがフィシスに含まれる。私たちが何を思ってもそれはフィシスである。誤っているか正しいかはフィシスにとっては関係がない。在るものはある。私たちが何…

その100

認識界における認識は私たちの精神を介した自然的な実在であるフュシスだ。認識が存在の素性を完全に捉えていなくても、私たちを介在した認識界が実在することはこの存在の広がりにおける自然発生的な事実である。私たちを介在にして起こることはそのすべて…

その99

私たちは実存的に認識界にいながらも実質上の存在の基盤のうえにある。存在の基盤があることで認識界がある。その逆はない。存在が認識界を生む。認識界に対して、非認識界がある。認識されてないが、確かに存在することがある。在るものはあるだけで、何か…

その98

総合を認識しようとするとき、総合の存在が問われるが、認識が総合的にできあがった感があっても、そう感じられたのみで、実際上、ほんとうに認識が総合そのままに出来上がったのか。認識とは設けられた範疇ではないか。認識とはほんらい、対象それ自体であ…