存在について

Everything is pieces of information.

その

個別の世界観が相互に関係しながら、存在を埋め尽くしている。存在は個別の認識の総体ではない。個別の認識の総体とともに、何かしらの存在がある。認識そのものは物理的な現象であって、その実物は物質レベルで実在するのではない。世界の見え方がいくらも…

その220

認識とはいまのことだけを捉えることではなく、未来についての認識もまた実在である。起こってもいないことを事実として認識しながら生きること。確かに起こったことから明らかになるにも関わらず、起こっていないことを事実と考え現実を生きること。存在の…

その219

存在はその過去においてもあったし、現にいまもある。おそらく明日にも何かがある。ただ何かがあったことは明らかであっても、それがいかなるものであったかについては、部分しかわからないのではないか。リアルタイムで関係性の連鎖を把握できなかったとき…

その218

何かを一つの主体と捉えた上で、その関係性について把握しようとするとき、いくつの関係性があるのか。それぞれ個別にその関係性を捉えることは可能か。いくつもあるはずの関係性の全体は現在までしか把握できないといった意味で、永遠にその全体は存在しな…

その217

目の前のりんごをリンゴとして認識していても、どんなりんごなのか、そのほとんどを知らない。りんごをりんごと認識することがりんごを知ることではない。りんごとは何かを知るために、なすべきこととは何か。りんごだけを調べていても理解が完結することは…

その216

分からないことが分からないのではなく、認識できないことが分からないことがある。理解できないから分からないのではない。単純に存在することであっても、そして、理解できることであっても、その存在を認識できない。認識可能性がゼロの存在がある。存在…

その215

認識していることがあっても、それが存在のすべてを捉えて、あてはまるかどうか、それは簡単には明らかとならない。どうやることで確証を得ることができるのかについて、そのためには私たちが存在の全体をその限界まで把握しない限り、明らかとはならない。…

その214

出来事の総体が存在のすべてであるとしたとき、そのあり方における原因に考えられることとは何か。どんな現象が起こっているのか。あまたある現象のうちに私たちの認識が関わっていることがある。起こることは起こるが、いかに起こったかについてはそれぞれ…

その213

私たちの認識とは固有の認識であり、存在の一部をなす。存在についての理解のためになされる認識が存在の一部であるとはどういった状況を説明するのか。認識不在でも存在はある。認識が不在な存在と認識が存在するうえでの存在とは何が違うか。認識が存在の…

その212

場がある。それは、変動にあるが、なんらかの秩序にある。秩序を示したのが場であるのか。場として認識されるためには秩序がいるのではないか。存在するが場を持っていない存在がある。場としての存在と、場として存在しない存在がある。秩序を示す場の中に…

その211

概念は一個の原理ではない。関係性のうちにある。関係性があるのであり、一個の現象は関係性のことである。存在がいかにあるかは、どのような関係性があるかを問うことである。関係性のいかんが、どんなりんごであるかに関わってくる。一個のりんごがあるの…

その210

認識ない存在である私たちは認識外にいる存在でもある。認識内と認識外は容易には分けられない。認識は個人によってなされるのであり、個人差があるのが認識内存在や認識外存在である。物理的に一個の認識内があり、認識外があるのではない。同一の存在に対…

その209

存在はその流れである。流れの一切に断絶はないが、淀みや滞留はある。一切が等速で流れているのではない。領域が相互に反応しながら、その場で滞留する領域があれば、高速で流れていく何かもある。バラバラにある存在はその流れのうちで多様である。存在多…

その208

因果で紐解いていくと、始まりがどうしても気になるが、原初の個物の始まりが、存在の流れの規定にあるとするとき、その規定とは、働いた力のことであり、では力とは何か。秩序を作り出す力と考えられるが、秩序を作り出す力とは何か。ばらばらだった存在の…

その207

規定された領域がりんごである。存在の流れの中にあるりんごは存在を規定した存在である。りんごのみならず、それが個物である限り、存在の流れのうちで、なんらかの力を加えて規定した結実として実在する。なぜ規定可能だったのか。りんごはそのうちなる力…

その206

枠組みとはパターンのことである。繰り返されるパターンがある。しかし、パターンだけが繰り返されただけでは、存在は動かない。動的な存在における同一のパターンとは何か。すべては異なっていると考えられる存在のうちになぜ同一のパターンが実在するのか…

その205

リアルタイムで何が起こっているかを具に知ることはない。知っているのは、枠組みで、現象として何がどう起こるかである。その意味で、存在は反復する。反復する枠組みのなかで生かされているのであり、その細部は異なっている。一度きりしか起こらないこと…

その204

雨粒が一滴地面に落ちたときに起こっていることは何か。そもそもこういった記述が指し示していることとは何か。その全体はあるか。物理的な時空のどこを指し示しているのか。それは定まるのか。言語で表現されたことの内側で起こっていることを具に把握する…

その203

私たちはその主体となり、存在へと働きかけをするが、意図的なそれとは別に、ただ存在することが存在に対して与える影響があるはずだ。田畑を切り開くこととは違って、意図的ではない企てが無意識に行われている可能性はつねにある。存在の広がりをすべて情…

その202

考えていることが存在の流れに沿っていないことがないか。視覚で捉えた存在のことを考えるなら、存在の流れのうちに思考があると考えられるが、視覚で捉えていることと完全に異なったことを考えることが頻繁にある。そのとき、考えている主体である自己は存…

その201

存在について考えているのは、自らであり、自らの機能に由来した思考が、その言語のシステムとともになされる。先んじてある機能により規定された思考は、存在をどこまで把握可能なのか。他の機能からすれば、存在は別様に理解されるのではないか。まったく…

その200

存在はカオスであるとか、秩序だっているとかといった定義とは関わりをもたない姿であるのが本来的な存在のあり方ではないか。カオスであると捉えることができるのは、カオスといった認識を私たちが精神のうちに所有するからで、秩序もまたそうした捉え方を…

その199

認識の存在は、それが在るといった一点においては、それがいかにあろうと実在であり、その正否については、関係性によるところから、即座に決定づけることが難しい。正しい認識とそうでない認識があり、そのいずれもに正しい可能性があるとき、認識の存在は…

その198

存在の渦中にある認識は、その内的な中身を持つと同時に、その内的な中身が存在の一部として機能することで、外部へと働きかけをする。存在を捉える認識は存在の一部として機能する。存在の含まれた認識は存在それ自体だが、存在それ自体として、その変動に…

その197

存在のうちにある私たちの認識はそのすべてが存在におけるできごとである。存在のうちに認識がある。いかなる認識をもつか。それは存在がいかにあるかに関わることであるものの、そこには2通りの意味がある。つまり、存在がいかにあるかそれ自体を捉えるのが…

その196

つながっているか、いないか。それは認識上のことで、つながっていない状況を存在の側が感知することはないのではないか。認識しようとすることで、つながっていない箇所が見出されるに過ぎない。あるがままある存在とは、認識を超えた存在ではないか。存在…

その195

水は水となることで水であることが可能となるといった見方からすると、存在するものは何もがある枠組みを存在の流れの中から与えら得たうえで存在することのなったと考えられる。水がなぜ存在するかを考えていった時、その因子が確かにあるが、それが揃うた…

その194

水が氷になるのにどんな力が働いているか。水の内部だけがその原因ではないことは自明である。水はその外部の環境の変化を受けて姿を変えて、氷になる。内部の変化の原因が内部に一切ないと考えるのは過言となるが、外部環境が水を水のままとしておく。水が…

その193

りんごのりんごらしさの原因とは何か。存在のうちでそれがりんごであるのはなぜか。りんごではないものからりんごは生じたのか。りんごがまったくなかったところにりんごが出来上がるためには、何が起こればいいのか。どんなできごとがりんごを生んだのか。…

その192

ある花があって、その意味について考えたとき、あらゆる言葉を尽くしたとしても、その花の意味のすべてを語ることはできない。言葉の意味以上にあるのが、その花の意味ではないか。どんな意味があるのはわからないほどにあるのが花の意味ではないか。ありふ…