2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

その122

未完の現在だからこそ、存在は動的である。存在が現在にあると考えたとき、現在が完成されたものであれば、その運動がない。運動するのは、存在にその余白があることを意味するのではないか。余白を同時に抱えていることで、存在は現在において運動をする。…

その121

異なった時間が現在を構成しているといった矛盾を孕んでいるのではないか。存在は現在において実在するとしても、現在とは異なった時間の総体であると考えられる。現在とはその運動であり、現在の運動は現在において完結するのではなく、未完結の状況にある…

その120

時間がその滞留であるとき、その運動は全方向的だと考えられる。いずれかの方へ進んでいるのが時間ではないとき、であるが故に時間は実在すると考えられる。一方向に進むのではいことが、存在を空間に実在させているのではないか。現在とは滞留する時間によ…

その119

繋がりあっている部分がいつあるか。いつなのかを問うことで、繋がりの実質が明るみにでる。つながっていること同士は同時刻にあると考えることは可能か。時刻とは場において異なるのだから、広がりであるつながりはそのつながりにあっても部分で時刻は違う…

その118

存在はつながろうとして動いていると考えたとき、存在はするが相互に繋がっていない部分があると考えられる。すべてが繋がってしまえば、存在の動きは止まってしまうと考えたとき、繋がっていない部分があるが、繋がっていない部分が繋がってしまったとき、…

その117

水が水であることは水であることに押し留められているのであり、エネルギーが水の性質を持った姿でいることを意味するのではないか。万物を万物たらしめているのは、エネルギーの流れであり、その流れがどうなるか。流れ方が存在に形を与えているのか。存在…

その116

存在は私たちにとって、視覚的には像として映し出され、迫ってくる。いかなる認識を持とうと、そのものの停止した様を取り出すことはできないのだから、何もが流れの中にある。流れとはエネルギーの流れではないか。流れているエネルギーが姿を変えて、水で…

その115

像がある。私たちにとってはそれが何であっても、像に過ぎない。石であっても、その実体は認識主体の側からすると存在し得ない。そのフィシスからすると何にもが実体である。実体であるそのものは一瞬の停止も持たない。停止しないものがそれ自体であるとき…

その114

なぜ存在は個別に実在すると考えられるのか。系の実在が存在を個別化しているのか。存在が個別に実在するとき、その運動を形作っているのは系ではないか。まず先に系があることで個別の実在があるのではないか。系とは何か。存在に形を与える運動か。系もま…