2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

その413

下手に考えて答えがでて、それを実行する根拠となることがあるとき、考えること自体に危険性がはらんでいるといえるのではないか。合理的に考えられたことがすべて正しいわけではない。それを実行することでどうなるか、さらにそこを考えなければならない。…

その412

推論された可能性について、それがそのように実現したとき、その予測は現実的だったことになるものの、その実現が偶然であったか、必然であったのか、その考察をしないといけない。ある推測通りに起こったことをどのようにして、偶然あたったのではないこと…

その411

あらゆるものがあって、そのいかなるかを司る力として時間が実在するといった考えについて、それはどういった現象として起こっているのか。時間は実質的に実在しないかもしれないが、私たちが知ることのできるのはその認識によるところであり、認識すること…

その410

永遠に無である何かとは、絶対に存在しない何かとなるが、その絶対が永遠のものかどうか。永遠かどうかは誰にも分からない。永遠を生きることのできる誰かがいるわけでもなく、誰かというのではなく、なんであっても、永遠を経験することはできない。つねに…

その409

永劫それがそれであることとは何かと考えたとき、無それ自体がどんなときにあろうとそれ自体として変化しないのではないか。ただそれでも、無それ自体といってもさまざまにある。どんな無か。いや、無は無であり限り、どのようであるかといった問いの一切を…

その408

永遠普遍な何か、それは有か、無か。なにかしら無それ自体はつねにある。有はその変遷にあり、永遠普遍ではない。有ではない完全な無それ自体はつねに実在し、それ故に、普遍ではないか。どんな無か、それは問われない。無それ自体は一切の言及を受け付けな…

その407

分かっていることがそれで完結した事実ではなく、分からないこととの繋がりにある可能性がつねにある。であれば、分かっていることはほんとうに分かっているのかといった問いが生じる、その必然にある。問われてしまったら、その時点でほんとうかどうかがわ…

その406

神は妄想なのか、実在なのか。実際に神が現れたことは一度としてないのか。いや、神に出会ったことがあるひとが知らないだけでいるのか。しかしそれでもその出会った神が実際に神であった証拠はどうやって明らかになるのか。 存在それ自体、生きていることが…