2024-01-01から1年間の記事一覧

その632

断片だがそれは世界の断片であり、世界の断片とは、世界との関係を結んだままの断片であり、世界との関係を結んだままの断片は世界の運動に合わせて変化していく。それゆえに、というか、運動し続けている世界を切り取って成立する我々の認識断片はその運動…

その631

世界の部分を切り取ったかのような私たちの持つ認識はそれ自体が断片的な印象にあっても、それ自体の実在は、それ自体が世界と関係を結んでいることを意味している。我々の認識はそれ自体がどれほど断片的であっても、世界とつながったままの断片である。世…

その630

すべての発明や発見はすでに世界にあるものであり、すでに実在しているから、たとえば、数式などもそのような姿で実在可能なのだ。それがどれほどのものであっても、実在するかしないかは、世界それ自体がそのようにあるか否かであり、世界の姿の一部を言語…

その629

すべては世界が算出しているのであり、我々がいかなる発明、発見をしたところで、我々が世界に働きかけることで生み出されることだ。そもそもにおいて、世界にすでに実在しているから、何らかの数式などを掘り出して発掘できるのではないか。我々が見出すす…

その628

我々に理解可能なのはすべてが理論上の話であって、理論として成立しないものをどのように捉え、実質的なありようとして受け入れることができるだろうか。ただそのようにあるそのことをそのまま受け入れることならできるが、それはだたそのようにあることを…

その627

絶対無が実在したなら、その時点で永遠はない。世界が永遠であるなら絶対無は実在しない。世界が永遠である条件とは何か。理論上、世界が永遠である可能性が消え去らない、その条件とは何か。

その626

何かだけがある状況それ自体は実在しない。では、この世界にかりに原初なるものがあったとき、原初はいかに発生するだろうか。不可能ではないか。つまり、原初とはまず何かだけがある状況それ自体ではないかと考えられ、それであれば、何かだけがある状況に…

その625

認識それ自体は、その実在性をして、世界における定点であり、その定まりは認識主体と認識対象のあいだに発生する。さて、すべての認識を掛け合わせたなら世界はできあがるか。できあがらない。世界はすべての認識の外にも広がっている。認識されない世界も…

その624

ある瞬間に何かが完成することはない。どんな瞬間も未完のままだ。それは、ある瞬間を完全に捉え切ることができないからだろうか。認識はそれ自体として成立することでその意味をもつ。そのようであることに意味があるが、それは認識対象におけるそのすべて…

その623

到達したある点において存在する何かの完成形は、それが何かであることが原因で完成する。それが何であっても具体的な何かであるとき、それ自体がつねに運動しながら完成した姿にある。イデアとはだから、何か具体的な物事のことであり、それがいかなる姿で…