2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

その609

起こったことが世界を作っている。起こっていないことは起こっていないのだから、どこにも実在しない。実在するものだけがある。実在することは精神のうちにのみある。ものはコトが集まってものになるが、そのものができるためのコトのすべてを知らない。わ…

その608

考えたことについて、起こること、起こらないことがある。起こることだけを認識として持つことはできない。純粋に推論を停止し、起こったことだけを認識するなら、認識内には事実しかない。未来について思考することで認識があいまいになる。すべては起こっ…

その607

認識の完成は、可能性、そのすべての消滅による。わずかにでも可能性として考えられることがあった時点で認識は不完全なままだ。

その606

個別には方向があっても、世界の全体にとっては方向があるのかどうか。個別にあるいくつもの方向が自然と自己組織化し、世界の全体を方向付けているのかどうか。世界の全体に方向があるとしても、認識可能なのかどうか。世界の全体の方向はまず世界の全体の…

その605

動いているものはすべてが世界の一連の流れの中にあるのか。世界とは果たして一続きの流れにあるのか。一続きの流れに世界があるなら、世界で起こっていることにはすべて順序がある。ミクロを観察したとき、流れていく世界の順序が明白になるだろうか。否、…

その604

この世界の実質がカオスにあるとしても、そのカオスとは何か。世界のすべてが秩序立っていれば、世界はすべてが動かない。世界はカオスにあるから動く。

その603

未来から過去に時間が流れている。そう言われることがある。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。時間は存在しないとも言われ、それは単に認識内における事実にすぎず、いや、時間は存在しないといった意味が認識内における限定的な話に過ぎず、つ…

その602

昨日はどこにもないといった意味で無となった。時間軸上に存在する無とは、それがかつてあったことで現在において無となる。昨日があったから現在があるとしても、昨日はもうどこにもない。無となった。りんごが食べられて消滅したように、昨日も時間によっ…

その601

メッゾの領域にあるりんごは、その始まりをひとまず、そのりんごを構成する粒子にあるとする。さて、りんごを構成する粒子は、その始まりがどこにあるか。りんごを構成する粒子はいやおうなく時間のうちにある。時間をわずかに経過するか。長大な時間を経過…

その600

世界を支配するとはどういう意味か。それがなんでもそれがあればそれは世界への影響となる。しかし、影響を与えるものは影響を受け取っている。すべては相互反応のはずだ。であれば、完全に何かを支配できる主体の実在とは何か。どんな意味を持っているのか…

その599

拡散しようとするものが閉ざされていくことで結果的に生じるのが構造ではないか。拡散だけでは粒子の浮遊のみが現象として起こる。しかし、実際にはそうではない。世界はそのマクロでもミクロでもメッゾにおいてであっても、その構造を持つ。ミクロの構造が…

その598

ある風は一塊にないか。むろん、その風はその風の外部の影響下にあるが、それは一個のりんごがそこに実在するためにその外部からの影響下にあることと同じ意味である。ある風がどこまで吹いているか、その風にはその全体があるのかどうかはその風の流れを追…

その597

事それ自体が実際に物質としてあるのかどうか。物はあるが、物が変化していくのは事によるとしても、事それ自体が単独で実在するのかどうか。たとえば、風が吹く事それ自体は実在するのかどうか。確かに風邪は吹いている。それであれば風が吹くことは実在し…

その596

際限がないといったとき、それは無限を意味するが、無限それ自体が実在した時点で、あらゆる可能性が現実に実在することにならないか。頭の中にあるものごとすべてが実在しなければ、無限とはならないのではないか。 あるものだけがある。それが世界だ。頭の…

その595

世界はそのすべてが具体的であり、そのすべてが何かとしてある。何かとしてある世界は一通りしかない。一通りの世界であるが故にその具体がある。具体的な何かそのすべてが詰め込まれているのが世界であり、何が詰め込まれているのか、その全貌は明らかでは…