2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

その420

知っていることがどこまであてはまるか。事実は事実としてあっても、限定的である可能性をつねに持っている。すべてにあてはまる事実は実在するのかどうか、はっきりとしない。その事実があてはまる領域をして、そのすべてとすることはできる。ある事実があ…

その419

ある現象が普遍だと考えられたとしても、それは限定的な可能性がつねにある。全体がほんとうに全体であるかどうか、それをどう捉えたらいいか。いったん全体を全体としたうえで論を進めていくことはありだ。つまり、どんな論もつねに仮定の話である。ではい…

その418

かりに世界というものがとんでもなく大きくて、現在知っていることがごく僅かでしかない可能性について考えることは可能ではないか。全体の1%もわかっていないかもしれない。0.0001%だけわかっているかもしれない。いや、そもそも、確かにあるであろ…

その417

永遠とは何かしらがつねに存在して、いわゆる世界が無となってしまわなことを意味する。世界の完全消滅はありえるのだろうか。世界において認識主体が属する地点がたとえば地球のようにあって、地球が崩壊して無となったとき、それが同時に他の存在のすべて…

その416

分からないことが可能性として実在する。分からないといえど、実質においては、ひとつの事実として実在するはずだが、その事実が見出せないとき、現実は可能性となる。認識内には可能性の束がある。可能性の束それ自体が私たちの認識機能を通じて、この世界…

その415

すべてそれ自体は実在するが、すべてそれ自体を認識することはできないというか、できたか、できていないか、その判断を確かに下すことはできない。すべてを理解したとき、それはほんとうのすべてを理解したと、どうやって確証を得ることができるのか。アウ…

その414

存在には確かにその全体があるとイメージされるが、そのありようは闇にあり、いかにあるか、そもそも全体がどこまでどのように広がっているかが明白ではないことから、その確証を得ることはできない。どこでどうなっているのか、あるいは、その全体の像は永…