その553

 交わっている。しかし、骨格がはっきりとあるものとしてのりんごがたとえばある。りんごにははっきりとその内部とその外部がある。しかし、外部と内部にはっきりと分かれているのではない。外部と内部を決定づけることとして骨格がある。むろん、構造と呼んでも差し支えない。ことと呼んだ骨格があり、構造は確かにことだろうか。こととは何で、ものとは何か。物体であるものを構成する要素がことだろうか。であれば、こととは要素だ。りんごといったものを構成するために必要なこととしての要素がある。必要な要素が集まってものが誕生する。世界にはさまざまな有限の要素があふれている。それら要素がいくつか集まることで物体となる。その物体は骨格をもち構造的実在である。要素の集まりにおける相性のようなことが構造を生成するか否か。ある場において集まっても結束して構造化しないことと、構造化することがあるのではないか。順番に集まっていきながら、あるとき構造化がはじまっていく。その過程と結果を踏まえて自己組織化と呼ぶことができる。要素が集まって組織化されていく。そこに存在における自己が確立される。骨格が生まれ、構造の誕生だ。構造が自然と組み上がっていく。その自然とは自然な相互反応による。流れゆく時のなかで、いくつもの要素がその流転を繰り返し、あるとき、ある場を構成し始める。その場ではそのものとしての自己が形成されていく。りんごとはりんごであるといった場のことだ。構造をもつあらゆる個物は一つの場を形成する。