2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

その483

認識外と認識内を截然と区分けすることはできないのか。認識していないことはそれでも認識していないのであり、認識していることは認識しているのであり、それは排中立にないか。認識の現象におけるあいまいさはどこまであるか。認識していないようでいて、…

その482

認識流転性それ自体の内側にいつもいるようでいて、むろん、存在している誰もが認識外とつながっている。実存的には認識内と認識外において存在しているのであり、認識内だけに実在することはあり得ない。もっとも、我思う故に我ありというのであれば、思う…

その481

認識とはその深まりを見せていくものなのかどうか。認識が深まっていくといった現象は実質的に起こるのかどうか。世界のありようがまずあって、それがどのようにあるか。認識が変わったことで認識は深まったと考えていいのかどうか。ただたんに、変化しただ…

その480

全体はその原初において、あるのかないのか。何かにおける全体があるとしたとき、そこには壁ができている。りんごにはりんごの全体がそれぞれにあるなら、あるところまでがあるりんごのその時の全体であり、それは時間の推移によって変化していく。変化して…

その479

認識において、その変化量を捉えることは肝心であるが、何の変化量なのか。それを捉えることとは、何かが起こっているときに、その内実において、何が起こっているのか、その全体を捉えないといけない。その全体は確かにある。あるだろうが、その全体が全体…

その478

変化それ自体があらゆる認識それ自体の実存に内在されている。何かを認識することとは、変化量を認識することではないか。何かを認識したとしても、それは現実において、認識したことにはならない。認識すべきは単に現実である。現実とは何かだけではなく、…

その477

時間の経過がまずある。その速度があるのではないか。時間の経過速度により、地点Aから地点Bまでの距離には違いがある。地点Aから地点Bに向かうまでに存在する時間の経過のあいだに、その速度の変化がある。その変化量が均一ではない。つまり、地点Aから地点…

その476

明日は現在からしたら、その距離があるのかどうか。距離とは何か。時間の流れにより生み出される変化の量を距離とするなら、現在から明日へと至る道筋には、その距離がある。ずっとその場にいても、時間は流れていく。ずっとその場にいても、現在から隔たっ…

その475

遠ざかっているか、近づいているか。それは何に対してそうなのかが、話の肝になる。他の意味で、すべては、そのすべてから遠ざかっていると言えまいか。つまり、現にあるものがそれ自体として、他の何かとなっていくことを意味している。現にあるものはその…

その474

なぜいずれかの方向へ動くのか。いや、最終的にいずれかの方向へ向かうが、それまでの間に多様な方向へと離散的に散り散りに動いているのではないか。離散的運動が運動の本質であり、その外観上、いずれかの方向へと進んでいる。そのように見える。存在の実…

その473

あらゆる制限から解放された何かが実際にあるなら、それはいかに実在可能か。他の何かがどうあろうと、どう動こうと、まったく関係がない。そんなことが起こりうるか。他の何かがどう動こうともまったく関係のない動きをする何か。それはたとえば、世界にあ…

その472

存在するが、何ひとつとして他の何かと関係していない何かがそれでも確かに実在するかどうか。実在したとしても、何とも関係していないのだから、いかなる観測者とも関係していないともいえるわけだが、その意味でなら、すべてはつねに何かと関係している。…

その471

物質はそれがあるだけで、その自然において、関係性を構築する。関係性が出来上がっていくこととは、構造ができあがっていくことを意味する。何かが存在すれば、それはその自然において、構造ができあがっていく。とはいえど、存在するが、何の構造にも関わ…