2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧

その451

考えるとは何か。考えないとは何か。考えないことの対極に考えるがあるのか。行為者である私たちは何をどうやっていくか、考えることなしに、ことがうまくいくことはほぼないのかもしれない。どうやればうまくいくか、それを考えることで初めて、生きて命を…

その450

世界とは何か。それはあるがままある。あるがままある世界をそのまま知ることはない。私たちは私たちの認識を通じて世界を知っている。認識していることだけを知っている。認識できていないことは当然ある。認識内存在のみが存在ではない。存在は認識外にも…

その449

力の実在は、力そのものの実在といえるのか。結果的にそうした力がある。力とは、存在の原因ではなく、結果ではないか。存在とはその原因として実在することに対する結果も含むが、結果にいたる原因こそがまず実在する必要がある。なぜ世界があるのか。それ…

その448

明らかなことはすべてが言葉になるわけでは当然ない。ある動きについて、そのようになると把握されることがある。その動きは、確かにそのように動く。どんな力がこの世界には働いているのか。その動きについて、その構造を捉える何か、それは何だろうか。さ…

その447

起こっていないことは謎以前の非存在でしかない。謎とは起こったことがどういったことだったかを考えることで、起こってもいないことは、事実として実在しないのだから、謎以前の話になる。謎ですらかない未来とは何か。観念的には明らかになっていることが…

その446

知っていると思っていることが間違っている可能性があるとき、知っていることは知っているかもしれないことに格下げされてしかるべき。絶対の真実を知っているかどうか。その時はそうだったかもしれない。いや、確かにそうだった。しかし、その断定がそのま…

その445

知っている。だから、生きていることができる。何も知らないような赤子でもその身体は何かしらを知っているから、生きていられる。もし、生まれたばかりの赤子が知らないことしかなかったら、即刻死んでしまう。知っていることがいくつもあるから、生きてい…

その444

認識していないことを認識している可能性はつねにある。認識とは何か。知っていないことも含まれているのではないか。知っていないが関係していないことがある。知っていないこととは、言葉になって知っていないことを意味する。知っているのことのすべてが…

その443

認識の外で起こっていることと、認識の内側で起こっていることは、むろん、その関係にある。関係にあるというか、ひと繋がりのことが起こっているのであり、認識の内側だけで起こっていることがあるわけでもないし、認識の外側だけで起こっていることがある…

その442

全体とはそもそも何か。全体という何かが実際にあるのか。全体なるものがあるなら、それを全体ならしめているものが確かになければならないが、全体を全体としてはっきりと区分けすることはできるのか。関係性を紐解いていったとき、そこに全体があるように…

その441

認識できないことが、それでもそのようにあるとき、そのようにあることが、現に認識していることとその関係にあり、認識していることそれ自体の原因である可能性があるが、認識していることの原因を知り得ないことになる。原因はしかとあるかもしれないのだ…

その440

何かがいかにあるか、それはその運動を止めて観察したところで、明らかとならない。動いているそのものをそのまま捉える必要があるとき、それをいかに行うか。動いている何かをそれ自体として捉えるためには、それ自体そのものの運動をまるごと捉える必要が…