2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

その470

構造とは関係性のことであり、何かと何かなどが集まることでできあがるその枠組みである。関係性の生じないところに構造はできあがらない。互いに関係のないもの同士が一つの構造を共にすることはない。構造とは関わり合いを意味する。関わり合いの中で、構…

その470

その469

あらゆる実在と無関係でいられる何かが存在するはずはない。何かがあれば、他の何かとの関係にある。それ故、何かとは何かしらの構造内において実在する。点としてある何かも、何かしらの構造内存在であるはずで、構造の支配下に何にしろ、あると考えるのが…

その468

ただあるものがあるようにあるなかに私たちがいる。いかにあるか、そのあり方にすべてには構造があるのか。構造を持たない仕方で実在することはありえるのか。構造を持たないとはどういったことか。構造とはつまり関係性のことであり、関係性を相互に結んで…

その467

あることがあるようにあるその流れの一部始終の一切がすべて真実である。物質的な現実においてそうである。言葉になったことには疑いがあるものもあれば、そのままそのように正しいこともある。この世界には嘘もほんとうもあるが、それは言葉があるからでは…

その466

見えているものがそのように見えていることとは、ひとつの情報だが、それがそのような実在であるといった決定的な事実を示すのではない。そのものが単にそう見えているに過ぎない。他の認識主体からしたら、他の見え方が実在することになり、それはそれで事…

その465

見えていることからの影響は大きいと言わざるを得ない。それ故に、見えていることをそのまま現実と感じてしまう。明らかに、目の前にあるりんごが現実と考えるが、それはそう見えることがその原因となっていると考えることできる。認識のいかんが現実感を生…

その464

感じたことは世界から切り離されていることで実在可能なのではないか。感じられたことは主観による。主観的な解釈が感じられたことだ。世界そのものは実在しない。ひたすらなる関係性がある。関係性により、何かが何かである。何かであることは関係性のいか…

その463

何かを食べたとき、その味のいかなるかは、世界と関係しているだろうか。食べたものは世界にあった。感じた味覚も世界にあった。しかし、食べたものと感じた味覚はどこにあるか。世界の一切をその流れとするとき、その流れに関係のないことが食べたものの味…

その462

認識内現象は、認識外現象といかに繋がっているのか。いや、つながっているのか、つながっていないのか。そこから問いたいところでもある。認識が認識されていないこととつながっているとき、なぜ認識が成り立っているのか。認識は世界と切り離されることで…

その461

関係それ自体は、個別に実在するものがあることで生じる現象である。何かがはっきりと個別に実在しない限り、その初めからすべてがつながっていることになる。何かが個別にあるとき、それは何かしらとの関係を築くより他はない。関わってしまう。 何かを個別…

その460

世界は運動していて、その意味で開いているが、開いているといった意味は、認識内においてのことに過ぎない。認識の外では何が起こっているのだろうか。それを考えることは、認識内での出来事になる。知っていることのすべてが認識内のことでしかないとき、…

その459

閉ざされた関係性は認識内で閉ざされているのみならず、認識外においても、何かがあることそれ自体は、閉ざされた関係性がその原因ではないか。運動する関係性はそれが何かとして具現化するためには、閉ざされた力が働いていないと不可能ではないか。閉鎖力…

その458

何かが個別に実在するのは、ばらばらにある情報を繋ぐ力が働いているからではないか。むろん、つねに蠢いている世界は、それでもその秩序を備えている。秩序とは何かの関係性のことである。関わり合いが実在しない限り、何かが個別に実在することはない。何…

その457

何がいかにあるか。あるにはあるが、それを語ることが一切できない何かが、語ることのできる何かと関係してある。関係はしているのに、まったくそのことを知らない何か。それは何であるか、まったく分からない。まったく分からないことと関係しているとは、…