2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

その230

運動である現象は数式においても、あてはまる。数式は存在の運動について、論理的に捉えたうえでの形式である。形式がそのまま存在の運動を捉えることの意味とは何か。存在が形式的に成り立っている側面があるのは、たとえば、四季がある日本において、その…

その229

記号とはその閉鎖系のことで、それ自体の存在がそれ自体のうちで完結している。外部との関わりを持たないのが特徴である。それゆえに、その価値がある。明白で理解しやすいのが記号の特徴であり、その有用さである。実際の存在はしかし、関係性のうえで実在…

その228

知っていることがすべて言葉になっているのではない。言葉になっていないくても、知っていることがある。知っているとは何を意味するのか。どういった状況のことを知っていると言えるのか。言葉をまったく知らないからといって、生きていられないことはない…

その227

可能性は存在しても、それは無限ではない。無限の可能性は存在しない。可能性もまた限定的ではないか。限られた範疇において起こりうることがある。起こりうること以外のこともまた起こることがあるだろうが、それもまた有限性のうちに含まれている。起こり…

その226

1の次の瞬間に2になる状況においては、1であることと、2であることは、それぞれ独立した状況にある。何かが一個あることで、その存在を指して1とする。1があるのではなく、1個の存在あるから、1がある。2もまた、2個存在する何かがあることで、2と…

その225

数が波として実在するとき、1から2になるまでに存在する運動は存在それ自体のうちで波打った状態にあるのではないか。同じく、2から3になるためにも、同一の比率で変化するのではなく、波打った状態で変化しているのではないか。1から2へ、2から3へ…

その224

実在する数は連続してあるとしても、その運動が存在と整合しながら実在するとき、存在それ自体は不連続な変化にあると考えれば、数もまた存在のうちで不連続に実在すると考えられる。不連続に実在する数が連続してあるといった状況とは、数の運動に間隙があ…

その223

運動の流れをそのまま完全に捉えた数値には、その間隙があってはならない。隙間なく埋め尽くされた数は存在するとは考えられない。ある数からある数へと移行するときに、その間には数に置き換え不可能な何かがあるのではないか。具体的な数にならない何かが…

その222

身体の頸木のもとに、どの生物も生きている。身体の限界を超えることはできない。何らかの変化はあるかもしれないが、それはそうした限界が新しく設定されたに過ぎない。とにかく、形から逃れることができないのが存在の実質である。 形をもとに行うことが規…

その221

個別の世界観が相互に関係しながら、存在を埋め尽くしている。存在は個別の認識の総体ではない。個別の認識の総体とともに、何かしらの存在がある。認識そのものは物理的な現象であって、その実物は物質レベルで実在するのではない。世界の見え方がいくらも…

その220

認識とはいまのことだけを捉えることではなく、未来についての認識もまた実在である。起こってもいないことを事実として認識しながら生きること。確かに起こったことから明らかになるにも関わらず、起こっていないことを事実と考え現実を生きること。存在の…

その219

存在はその過去においてもあったし、現にいまもある。おそらく明日にも何かがある。ただ何かがあったことは明らかであっても、それがいかなるものであったかについては、部分しかわからないのではないか。リアルタイムで関係性の連鎖を把握できなかったとき…

その218

何かを一つの主体と捉えた上で、その関係性について把握しようとするとき、いくつの関係性があるのか。それぞれ個別にその関係性を捉えることは可能か。いくつもあるはずの関係性の全体は現在までしか把握できないといった意味で、永遠にその全体は存在しな…

その217

目の前のりんごをリンゴとして認識していても、どんなりんごなのか、そのほとんどを知らない。りんごをりんごと認識することがりんごを知ることではない。りんごとは何かを知るために、なすべきこととは何か。りんごだけを調べていても理解が完結することは…

その216

分からないことが分からないのではなく、認識できないことが分からないことがある。理解できないから分からないのではない。単純に存在することであっても、そして、理解できることであっても、その存在を認識できない。認識可能性がゼロの存在がある。存在…

その215

認識していることがあっても、それが存在のすべてを捉えて、あてはまるかどうか、それは簡単には明らかとならない。どうやることで確証を得ることができるのかについて、そのためには私たちが存在の全体をその限界まで把握しない限り、明らかとはならない。…

その214

出来事の総体が存在のすべてであるとしたとき、そのあり方における原因に考えられることとは何か。どんな現象が起こっているのか。あまたある現象のうちに私たちの認識が関わっていることがある。起こることは起こるが、いかに起こったかについてはそれぞれ…

その213

私たちの認識とは固有の認識であり、存在の一部をなす。存在についての理解のためになされる認識が存在の一部であるとはどういった状況を説明するのか。認識不在でも存在はある。認識が不在な存在と認識が存在するうえでの存在とは何が違うか。認識が存在の…

その212

場がある。それは、変動にあるが、なんらかの秩序にある。秩序を示したのが場であるのか。場として認識されるためには秩序がいるのではないか。存在するが場を持っていない存在がある。場としての存在と、場として存在しない存在がある。秩序を示す場の中に…