その560

 物質の運動は、相互作用による、その安定にある。構造を持つ物質は、その安定のことだ。自然とは、不規則な状況が規則的な安定に向かっていく、その運動にある。まずもって運動がある。それがいかなるものか。どのように運動しているか。運動それ自体が存在をあらしめている。あれば動く。いや、動くからあるのか。動くことそれだけのことであれば、それはエネルギーのことである。エネルギーとは動くことを意味する。エネルギーをもった物体はそれゆえに動く。動く何かはそれだけがあるのではない。周囲には常に何かがある。何かとの関係の末にある何かは、その運動が周囲との関係により規定される。何かがそのように動く何かであることを決めるのは、何かそれ自体であり、かつ、何かの周辺である。物質の運動がいかにあるか、それは何かと何かの間にある中間領域それ自体の現れだ。何かが純粋にそれだけで実在することがない以上、何かは常に何かと何かの間に現れている。何かそれ自体は、それがどんなものであっても、領域内の一点としての現れであり、それがそのようにあるのは純粋にそれ自体によるものでは一切ない。何かがそのようにあるために関係のある領域があり、何かは存在するもののすべてと関わっているのではない。ある存在の一点が変化しても、別の何かにはまったく変化がない。そのとき、存在の一元論は否定される。存在は一元的に実在するのではない。多元的に実在する。いくつもの源がある。いくつもの源を抱え込んだ存在のすべてを世界としたとき、世界にはいくつもの断絶がある。

 現れとしてあったものはそのすがたを消し去る。ゼロとなる。すべての関係性を失った何かがゼロとなる。そこにも断絶がある。存在の地平には無数の断絶がある。現れとして現象している現存在とそれらといくつかの関係にあった現存在の完全消失。あるか、ないか。存在の地平はゼロと1で波打っているのではないか。消失点と、現象している盛りの現れによって構成されている存在の地平は波打っている。あるものだけが存在を構成しているのではない。なくなったその瞬間を存在は抱え込んでいる。もしそうならば、存在の地平は…