2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

その302

意識的に選択をせずとも、結果的に何かが決まっていく。自らの生きる道程において、とにかくいろんなことが決まっていく。存在する者として、一瞬、一瞬、結果を出し続けている。そのことに自覚的であるか否か。自らを基軸に考えて、導き出された結果は、そ…

その301

人間が永遠に生きられる保証はどこにもない。その時点で、世界が人間のために作られているのは完全な誤りとなる。人間のために世界が作られているのなら、なんの苦労もなくてもおかしくないが、生きているとどうにも不都合が多い。自然とは存在するものごと…

その300

変化があって、その変化が人間の都合に合わないときがあるのもまた自然ではないか。人間の都合に合うようにきちんと変化していくことはむしろ不自然に感じる。まかりまちがっても人間のためだけにできた世界ではない。なんとか生きている。生きることができ…

その299

地球上の存在のみを自然と呼ぶわけにはいかないのは、太陽が自然であると感じられるからだ。太陽は地球の外にあるが、私たちにとっての自然であるといった感覚がある。私たちの身体や他の生命もまた太陽からの影響の元にその自然たりえている。つまり、太陽…

その298

夏が何度なら自然なのだろうか。都合が悪くなったら、それは自然ではないというつもりか。2度3度4度あがったことで、おかしなことが起こっていると決めつけるのか。どっちがおかしいか、考えたほうがいい。 自然は中立であり、敵でも味方でもない。そのよ…

その297

海が自然だ。山が自然だ。浮かんだ雲が自然だ。ならば、その根拠は何か。人間も自然だ。ライオンも自然だ。トナカイも自然だ。何でも自然じゃないかと言いたくなるが、どうやら自然ではないものがあるらしい。それは何か。人間が栽培した野菜はすべて人の手…

その296

起こっていることだけが認識されるだろうか。起こっているが永遠に認識され得ない側面がどうやっても実在することを避けることはできないのではないか。常に何かを知らない。何かについて知ろうとしたとき、仮のその全体の像があったとしても、その把握はで…

その295

意図しない現象が起こって、それが個人に影響を与えたとき、それは偶然起こったことと捉えられるが、純粋に存在の側から捉えなおせば、起こったことはその道理にあったのではないか。意図して起こると想定されたことの外にも、あることが起こるときの原因が…

その294

自然は地球上にしかないのか。月は自然か。かりに月が自然ではなければ、自然を完全に定義しなくてはならない。自然とはこういうものだから、月は自然ではないという必要がどうしてもでてくる。言葉でどうのとやっていれば、本来的にそうすべきかどうか定か…

その293

人間がいない世界では何が起こっていたか、起こることになるか。人間がいることが自然を奪っているだろうか。人間がいない世界はそのすべてが自然だろうか。人間の活動は自然ではないのか。人間の活動だけが特別で、自然から逸脱しているのか。逸脱できるだ…

その292

自然ではないことが起こっているのか。起こっているなら、それは完全に自然ではないのか。自然ではない何かがどのようにして実在可能か。存在はそれが何であっても即自然ではないか。人間が生み出した現象はその始まりが自然であり、その帰結もまた自然では…

その291

力は計測できるものとそうでないものに別れる。それはある。確かにあるが、認識外にあるとき、その計測はされない。計測されないからといっても、それが力として実在する限り、その力を認識不能の認識主体へと働きかける。関係のあることを知らない。いかに…

その290

そこことについては何も知らない。本当に知らない。しかし、そのこととは関係しているかもしれないし、関係していることで生きていることができている可能性がある。まったく知らないことに支えられて生きているとき、自分で判断して生きている感覚が薄まっ…

その289

認識外にも現実がある。完全に知らないことがいくらでもある。何を知っていないかをまるっきし知らない。あることについて知らないのではない。一度たりとも意識にのぼったことのないことが現実として存在している。理解したか、していないか以前の話である…

その288

意識のうちにないことは知っていない。知っていないからといっても、現実ではないのではない。存在している物ごとのすべてが現実である。知っていることだけではない。起こっていることのすべてが現実である。

その287

意識されるか、されないかで、本来の持っているはずの意味が変わってくる。意識されるか、されないかといった条件付けがある。意識されることで持つことになる意味は、意識せずとも、存在の姿においては、そのような意味を持っていると考えられる。もともと…

その286

存在の流れの中にあるはずの何もが、それだけがあるという状況を呈することはない。言葉であってもそうだ。ある条件付けがなされたうえでのその言葉である。条件付けとは前提のことである。前提条件がまずあったうえでのその言葉であり、同じ言葉でもその意…

その285

事実であるが真実ではないことがあり、真実だったことが真実ではなくなることがあるとき、真実は存在しないかもしれないし、永遠普遍の真実がないだけで、正しいことは正しく実在しているが、それがただ続かないこともある。正しければ真実であり、正しいか…

その284

事実とは起こったことであり、たとえば、何かしら思ったことでもある。思うのは自由で何を思ってもよい。思ったことのすべてが真実というのではない。つまり、事実はすべて真実ではないのであり、真実とはまさに本当のことではならないのであって、それは存…

その283

存在していることがあって、それがどうなっているかを考えるわけである。どうなっているか、それを認識することで何かを知っている。ただそれでも、知りたいことや、知ろうとしたことが、欲望にそった方法でなされるとき、それは感覚的な肯定にあるが、それ…

その282

個物としての関係性がある。個物とは関係性のことである。関係性のあり方がその個物のあり方を決める。個物がその関係性を持つことなく実在することはない。一個の個物があるように、一個の関係性がある。関係性はそれ自体がその閉鎖系であるはずだ。でない…

その281

関係性の喪失。いっさい何とも関わりを持つことなく実在する何かは実在しない。何かはつねに何かとの関わりの上にある。ではなぜ、何かがそれだけであると考えるのか。それは私たちが認識しようとするからではないか。認識しようとすることで何かしらにフォ…

その280

無は一切の記述を受け付けない。何もないことを言葉で捉えることはできない。何もないことがどういうことなのか、それは説明することではない。ひたすらに何もない。何もないといえば、何かがあることの裏返しになる。いや、何もない。ただそれだけのことか…

その279

なぜ動くのか。なぜ動かないのではなく、動くのか。そこにあるものがそこにあるだけで動いているのは、存在がそれ自体、運動する物質であるからだ。うごかないものはない。うごかないものは存在し得ない。動くからあるのではなく、動くためのエネルギーが存…

その278

繰り返されることがある一方で、何も繰り返されることはないともいうことができる。どちらも相応の正しさがあり、非反復性のうちに反復がある状況とは何か。繰り返されることはないといったとき、厳密には、いかなる反復もその細部においては同一ではないこ…

その277

1分前の世界に触れることはできない。今触れているコップは今あるコップであり、つねに今あるコップを持っている。10秒前のコップではない。今あるコップしか手に持つことはできない。持っているコップは昨日もあった。そのコップに関わった昨日の全てがその…

その276

存在それ自体において、今を意味する地点だけが実在するだけでは、存在それ自体が実在しないと考えられる。存在それ自体はその時間軸といかに関わり合って実在しているのか。時間軸の存在がいかにあるのか。今だけがあるようでは、存在は存在として実在し得…