2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

その25

数値は対象を完全に捉えきらない。完全性があると措定したとき、何もが不完全にしか把握されない。動きそのものは定点を持たない。数値の変容は連続しているか。そのようなものは存在しないが仮に数値から数値へと移り変わるとき、その間には把握不能な数値…

その24

現在といった一点の運動とは、私たちの認識機能に依存した運動ではないか。何かがあり、それを認識するから存在していると理解するとき、私たちは時間であっても、それが存在し、現在があると感じているのは、私たちがその機能により認識を獲得するからでは…

その23

生身の人間は絶対を排したカオスにある。自己の内外の連関にあるが、その様子とは、私たちの認識機能に対峙したとき、最終的にはカオスでしかない。私たちの認識する方途である合理性がそのまま認識対象にあてはまるのではない。何かがあれはそれは私たちの…

その22

私の数だけで世界には差異がある。同一の構造性からもたらされる現実は異なっている。仮に構造が完全に同一であっても、その中身の運動はどういった現実と向きあっているかで変わってくる。あらゆる相違でしかないそれぞれの現実の集積が存在する世界にその…

その21

事物は私たちにとって非絶対的な状況にある。捉えられない何かである。ひとつのりんごは存在するが、そのままを捉えることはできない。私たちがりんごを眺めているとき、意識するしないに関わらず、りんごの変容を捉えていることになる。ありのままのりんご…

その20

りんごのなかった世界にりんごができあがるために必要だった要素はなにか。何と何があれば、りんごは生まれるのか。必要な要素があれば、りんごはできる。しかし、必要な要素は無から生じたのではない。流れの中にある万物は情報の移り変わりである。方時も…

その19

りんごの内部だけがりごではない。りんごの内部でさえ、その全体性に到達不可能な私たちの認識は、りんごとどういった関係にあるか。りんご単体の表面から外もりんごとの関わりにある。りんごの全体とはその実存性のことであり、その外観ではない。存在して…

その18

世界には存在する限り、その何もが存在している。いかにあるか、その全ては分からない。分からないというか、分からないものがあることをまず知ることがない。存在のすべてに到達することはできない。何かを知ることはできる。一個のりんごであっても、その…

その17

私たちの精神とは私たちの認識領域である。私たちの認識領域を超えたところにあるのが世界であるといった意味とは、私たちが世界の全体を捉えることができないことである。私たちには私たちに帰属する認識領域がある。世界はそのさらにうえをいく領域で広が…

その16

何もが情報空間にある。言葉になったことだけが情報ではない。路上に咲く花も然り、空を流れる雲のあり様も然り。存在はすべてが情報である。私たちの精神を持ち出すと、存在しないものも存在しうる。想像力は実在し、あらゆる空想を含む。私たちが存在する…

その15

物質としてのりんごがそこにあれば、方時の停止もない。言葉のりんごは動くことがない。言葉のりんごの意味は誰かに触れることで動く。そこにただあるだけでは動かない。動きを持たないときの言葉のりんごは、意味をもつ誰かを携えない状況にある。ある時間…

その14

物があるばかりではなく、事がある。事が集まったのが物ではないか。物にならない事がある。事のまま物ではない。やがて物になるかもしれないが、物になった事はそれ以前の事とは違う。起こった事はすでに他の事になっている。物ではない事がいかにあるか。…

その13

存在そのものが一切の疑いを持たない状況でありのままある。そのことは事実であり、いかなる事実もフィシスである。私たちの営みがイメージ的であることも含め、存在のあらゆる状況がフィシスである。物とは距離を隔てたところに浮かんだイメージがある。も…

その12

ひとつのりんごはそれ以上分割できないと考えるときに、りんごはりんごであることを全うする。りんごとは何かといった問いは、りんごを分割しかねない。りんごは問い以前の実在として、疑いの一切を遮って存在する。何もが疑いと関わりをもたないときそのも…

その11

私たちの知らない世界が必ずある。存在する限りのすべてを知っていない私たちは、世界にとっての断片でしかない。断片である私たちにとって、私たちの生んだ概念である世界とは何か。存在する限りのすべてを世界としたとき、現在ばかりではなく、過去もまた…

その10

影響がある時点で接触している。太陽はその表面から外側が太陽ではないといっていいのか。太陽からでる光が届く範囲はすべて太陽の影響下にある。太陽からでる光は太陽ではないか。太陽の表面から外側が太陽ではないとは言えない。太陽はどこまでが太陽なの…

その9

接点を持たない接触がある。影響を受けている事実があるとき、遠い事実との接点を持っていると考えられる。影響を与え合うとき、点と点で繋がっているのではない。空間的広がりを持ったもの同士が関わりにある。太陽に触れていない私は、太陽の影響下にある。

その8

りんごはりんごであり、存在できるいかなる地点にあってもりんごはりんごであることを続ける。いかなるりんごであるかは周囲の環境に規定される。りんごの内部にはりんごの外部がある。外見上見分けはつかない、りんごの内部と外部は、その境界を持たない。…

その7

物理的な非関係性は証明しきれない。明らかになっていないだけの可能性が永遠にある。分かったことが世界の全体からするとどれほどまでのことか。世界の全体像ではなく、私たちの知の全体像すら見えてこない。分からないのではないし、ひとつずつ分かってい…

その6

水に茶葉を入れないとお茶にはならない。お茶の存在には水と茶葉の関係がいる。水と茶葉の関係は世界を限定する。水を限定するのが茶葉であり、茶葉に限定された水は水ではない。茶葉で限定された水はお茶でしかない。お茶でしかないものはお茶であることで…

その5

停止ではない運動である時間を取り出すことは不可能である。運動を運動のまま取り出しても、私たちは認識することはできない。世界とは認識のことであるといった立場に立つとき、世界が認識以上にある事実を私たちはどうすべきなのか。知らないことが存在す…