2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

その178

意味の一切がなくってしまえば、無すらも実在しない。どこにもなにもない。主体の一切が存在しないなかで実在する認識はない。認識の一切がないとき、存在は一切の関係性を持たない。関係性なき存在は、存在し得ない。存在は関係性として実在する。それが在…

その177

意味とは何か。存在それ自体である以上の不可知な実質ではないか。在ることとともに、ないことも意味である。何かがないことも意味であるとき、何一つとしてないこともその意味をもつ。つまり、無は相応の意味を持っているのか。とかんがえたとき、一切が無…

その176

物質だけがあることそれ自体は完結しない現象ではないか。物質とは何かと問われたときに、ただそこにりんごがあるだけのことか。運動するりんごを構成するための意味があると考えられる。物質は、意味に貫かれている。意味が物質をもたらしているのではない…

その175

非物質的な運動はそれが物質ではないことにおいて、いかに成り立つ話なのか。物質ではないものの運動とは何か。いかに実在するのか。物質ではないものが実在することを認めた時点で、その運動があることと認めることはできるのか。物質ではないものはいかな…

その174

意味は物質的でもあり、非物質的でもある。物質はその運動により意味を変えていく。その原動力になっているのが非物質ではないか。非物質が物質を作っているのではないか。なぜ物質があるのかの理由が非物質的な意味にあると考えられる。考えるから存在する…

その173

時空を言い換えるなら、意味の広がりと言えるのか。時空を超えた意味の広がりがあるのか。時空とは物質的な観点からの実在としてしか現実に含まれないなら、それ以上に何かがある可能性を顧慮したとき、意味の広がりは時空を超えた状況にあると考えられる。…

その172

何かの存在の側に立つことで展開される認識は、その完成においてさらなる展開がある。運動する存在はつねに未完であるはずで、存在は決して完成に向けて動いているのではない。つねに未完であるといった表現に問題がある。完成された状況設定それ自体が実在…

その171

知っていることは無条件ではない。知ることができるための原因があってのこと。何かの認識は関係性のうちにある。知っていることはその原因を含んだ現象であり、それは路上に転がっている石を見て、そのものだけが在ることを見ているのではないことを意味す…

その170

存在するものがありのままあることに対して、その認識はどこまで肉迫しているのか。完全に同一になるのとはない。存在そのものそれ自体が語っているすべてを認識することが不可能であるとき、存在と私たちのあいだには埋めることのできない距離があり、見て…

その169

存在とは物質である以前に意味のことであり、意味が姿を変えたのが、物質ではないか。物質であることそれ自体は意味により構築されている。意味を持たない物質は存在しないし、意味を持たない存在はない。在るからには意味がある。無いことにも意味はある。…

その168

物質とはその運動が存在の原因であり、実在する物質はその場において運動の状態にある。動いているから実在可能なその存在の何か動いているかというとき、それは意味が動いていると考えられる。物質の運動は物質に関わる意味が動くことで実在する。物質の運…

その167

存在するものごとのすべてが認識されているのではないのは当然の理で、認識をいかなるものと捉えるかで認識の意味合いも変容するが、しかし、それがいかなるものであるとしても、認識内に存在する何かとそうではない、認識外における存在を認めざるを得ない…

その166

意味とは何か。何かがあればそこには意味がある。何もなくても、なさといった意味があると考えられる。何かがあることかばかりが意味の原因ではなく、何かがないこともまた意味の原因になると考えられる。何ひとつとして存在しないとき、ゼロとしての意味が…

その165

存在は認識されようとされまいと、実際的に実在している。認識されたからといっても、そのことがそのままあり得るのではない。一個のりんごの運動のあるがままを捉えることができないとき、私たちの認識とは何か。いかなるものか。細部のプラスとマイナスの…

その164

認識対象はつねに運動の状態にある。運動している何もがいかにあるか。いうなれば、恒常的な細部の崩壊と結合の関連が実質的な運動のあり方をいうのではないか。留まろうとして留まらない。動き続けるようでいて留まろうとする。運動はプラスとマイナスの方…

その163

カオスとは、私たちと存在の間にある関係性の状況だろうか。認識主体である私たちが存在と向き合ったとき、捉えられる部分とそうでない分が必ずあるとき、認識の総体はカオス的にならざるを得ないのではないか。認識可能領域とそうでない認識不可能領域を合…

その162

存在は構造的であり、非構造的でもあるとき、存在の全体は構造的なのか、非構造的なのか。構造の中に非構造的な部分があるのか、非構造的な存在の中に構造的な部分があるのか。

その161

りんごの実在はりんごの実在に関わる関係性により構築されている。りんごに関わるすべての事象が構造的な実在なのか。それとも、構造性とともに非構造的な実在がりんごの実在において関わりを持つのか。構造性それ自体の実在はいかなるできごととして発生し…