その571

 関係があるか、ないか。それは私たちの認識内においてのことで、いや、私たちが不在であっても、関係のあるなしがあるのではないか。なぜ関係があることがあって、関係がないことがあるのか。関係があるのを理解できるとしても、関係がないとは、つまり、関係のうえでの無を意味する。関係性が連なって何かがあるとき、関係性の上での無とは、私たちが認識しようとするから生じる無なのではないか。無、つまりないのであり、ないのであるから、あるなしを超えたうえで、ただひたすらに無いのではないか。ただひたすらに無いものは、あるかないかの領域外の話ではないか。

 繰り返すが、関係があるか、ないか。それは認識内における話であって、認識の外では、関係があれば関係があり、関係がなければ関係がない。ただそれだけのことだ。すべてが関係し合っているかどうか、それは定かではない。すべてが関係し合っている可能性はあるが、すべてが関係し合ってはいない可能性もある。その証明がいかになされるか。結局は、認識の内側にしかいることができない以上、証明が証明として成立するために、いかなる事実が明らかになればいいのか。何が明らかになれば、すべては関係し合っていることの証明になるのか。何が明らかになれば、すべては関係し合っていないことの証明になるのか。証明は証明の効力を限定的にしか持たないのではないか。すべてがいかにあるか、それを知り得るには、すべてそれ自体のありようを知らねばならない。パラドックスとして、すべてのありようを証明するためにすべてのありようを証明しなければならない。