その576

 同一律を廃した1+3=4は、1も3も4もそのうちに同一の1を持っていない。そのときなぜ1+3=4が成立するのか。1つの赤い点を持った棒が一本と3つの赤い点を持った棒が一本あり、それらを足せば、棒は二本だが、点は4つ。数式は意志を持っている。数字で表されたものはつねに何かである。何かを捉えようとすることで表されている。棒を足せば二本だが、そのことは一切関係がない式として、1+3=4がある。

 何かの何かを捉えようとして紡がれるのが数式であり、それゆえに数式は閉じた系だ。閉じていることで成立する数式に対して、実際に動いているものが閉じている状態で捉え切れるだろうか。閉じていることの意味は、排除にある。あるはずの何かが排除され、それでは捉えきれない何かがつねにある。この排斥性は数式のみならず、言語における合理性にもある。合理的であるためには、その他を排斥しなければならない。排斥された何かは確かに事実としてあるのだ。