2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

その588

時間は何に属するか。時間の依存先があるはずだ。時間だけがあっても実在し得ない。りんごがあるように時間があり、りんごがなぜあるのかそのわけがあるように、時間がなぜあるのかにもわけがあるのではないか。りんごはいくつもこの世界に発生してきた。そ…

その587

無限拡散しているだけの世界であれば、何一つとして具体はない。拡散はしていても、この世界に具体があるその訳は、この世界にあまねく閉ざす力が働いているからだ。そうでなければ、生じた一点はひたすらに拡張していく。ひたすらに拡張することなく、何か…

その586

何かがあれば世界はある。ごくわずかにであってもだ。ごくわずかにでも何かがあれば、それは世界だ。大きいから世界というのではない。ごくわずかな小さな存在であっても、それがあれば世界は存在する。むろん、私たちは世界がいかにあるかを模索しているの…

その585

世界の外部にエネルギーがあり、世界の外部から世界へとエネルギーが与えられているのでない限り、世界はそれ自体がエネルギーである。エネルギーとはすなわち運動のことであり、運動は、ただ何かがあることにおいて生じる現象であり、ただ何かがあればそれ…

その584

円の軌道がかりにあったとして、それはエネルギーにより出来ている。円の起動は理論上は無限だが、その実在のためにはエネルギーが必要となる。無限のエネルギーがあるかどうかそれは知らない。いや、無限のエネルギーはないといった方が適当だ。ありとあら…

その583

言うまでもなく、認識がそのようであるから世界がそのように動くのではない。世界は動くように動いている。むろん、我々人類が世界の運動に影響を与えてはいるが、その影響は世界にとって本質的なことではない。世界がいかなる運動にあるか、それは何かがあ…

その582

仮に永遠に時間が続くとしても、その時間が次の瞬間を失うことなく実在していることを先回りして認識する主体はない。単に終わることのない時間が流れていると何かしらの主体が信じている。時間が永遠かどうかは信仰の問題ではない。その様にあればそのよう…

その581

πには始まりがあって、終わりがない。始まりがあるπとはいかなる実在か。無限とは、その終わりについて述べるだけではない。始まりがあっては、無限ではないのではないか。際限がないものに際限である始まりがあっては、都合が悪い。始まりもなければ終わり…

その580

閉ざされていること、それゆえに起こる現象を閉ざす力によって理解しているのが実情ではないか。認識対象だけが閉ざされているだけではなく、認識それ自体も閉ざすことであり得ている。この世界のうちにある何かで一つでも閉ざされていないことはあるのだろ…

その579

さらなる関係にあるにも関わらず、その関係を除外した上で成立する認識とは、いかなる存在か。認識Aが成立するためには、さらにあるはずの関係性を除外する必要があるのか。除外する力が働くこととは、閉ざす力を意味する。閉ざす力によって成立するのが認識…

その578

意識が現実と思うことが時とともに移ろっていく。現実は意識がつくっているといっても過言ではない。意識が現実と思うことは、例えば一生のうちでも変容していく。500年後の現実がいかなるものか、それは意識がどんなことを現実と考えるかによる。 世界をど…

その577

合理性が現実を捉えているとき、その合理性によって示された意味は私たちにとって理解可能にある。理解可能がゆえに実在していることになる。世界のある現象について語るのが合理性であるとき、ある現象と私たちの関係が合理性なる現象によって明らかになる…

その576

同一律を廃した1+3=4は、1も3も4もそのうちに同一の1を持っていない。そのときなぜ1+3=4が成立するのか。1つの赤い点を持った棒が一本と3つの赤い点を持った棒が一本あり、それらを足せば、棒は二本だが、点は4つ。数式は意志を持っている。…

その575

方程式の右辺と左辺には、それぞれが持つ量があり、その量が等しい。等しいことの意味がバランスが取れている。あるいは、釣り合っている。つまりは、何かと何かがあって、それぞれの持つ量を秤のうえに置くと、右辺の持つ量と左辺の持つ量が同一で完全にバ…

その574

1+2=3なのは、2にも3にも同一の1がその背景としてあるからだ。これを同一律と呼ぶことができる。現行の数学では、その背景、つまり、数学でも用いられる数の背景には同一律が潜んでいる。同一律といった約束事を共有することで成立しているのが現行…

その573

認識はその基盤の影響下にある。基盤がいかにあるかで、いかなる認識を持つことができるか。合理性といった基盤のもとで得ることのできる認識からは不合理性が排除される。不合理であることそれ自体には相応の意味がある。価値があるといってもいい。はちゃ…

その572

証明されたすべてのありようは、それ以上証明できない。しかし、確かなことが確かであるかどうかを私たちは確かめることがある。むろんそれは、その証明された事実が合理的であるといったことのおいて確かであるといった意味であり、合理的であっても実際の…