2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

その405

いるかいないか。あるかないか。そのいずれかしか可能性としてはない。いるならいる。いないのならいない。しかし、そのいずれであるか、その判断がつかないことが多い。それ故に残されるのは可能性となる。可能性として認識される現実がある一方で、可能性…

その404

あらゆる実在は問われて然るべきか。神ならどうか。神とは何かと問うたとき、万物を司る主体とでもいえるかもしれない。では、いかに司っているかについて答えられるだろうか。神がどのように行為したうえで万物を司っているのか。神の実態について明らかに…

その403

関係性それ自体があるのであり、何かがただそこにあることはない。関係性の運動により、何かが実在し、それは関係性を生み出しているのだから、世界はその変化の真っ最中にある。変化の真っ最中になるすべてはその移ろいにあるわけだが、なぜ何かは止まると…

その402

過去のどこかと未来のどこかがつながっているとき、そのつながりとは何か。過去に起こったことが未来における結果となる。それは現在において実際に起こったことが続いてある未来へと影響したことを意味する。過去に起こったことだけが未来を作っているので…

その401

未来はすでに起こっているのだろうか。明日はすでに現在において起こっているのだろうか。現在の何かが明日の何かと関わっているなら、現在においてすでに未来は起こっている。起こっていることはすでに未来についてのことである可能性にある。いや、むしろ…

その400

起こったことがある。それがそのように起こったことはそのように認識されるから存在する。それがそのように起こっているのは、そのように起こっているからではあるが、それはそのように起こっているだけではない。そのように起こりながらもそのようではない…

その399

あるのは何か。認識に閉ざされた部分がその絶対としてあるのではないはずだ。関係性の認識は断絶させることで初めて実在するのではないか。それでその部分としての認識がなぜ成り立つのか。りんごの部分の認識がなぜ成立するのか。単にそれは合理的なだけで…

その398

認識された事実にはその直後の運動がある。かりに認識は完全になされたとしても、認識の外にある、認識外運動について私たちは知らない。知らないし、それでも知りえたとしても、その外の運動については知らない。といったように、現実の物質的な現象のいっ…

その397

可能性のすべてが言葉になるわけではない。言葉になって推測されたこと以外が現実に起こることがいくらでもある。言葉になることはわずかであり、現実に起こっていることのほぼすべてが自動的に起こっているようなもの。こうなるだろうといった推測はその大…