その278

 繰り返されることがある一方で、何も繰り返されることはないともいうことができる。どちらも相応の正しさがあり、非反復性のうちに反復がある状況とは何か。繰り返されることはないといったとき、厳密には、いかなる反復もその細部においては同一ではないことを意味する。反復とはだから、細部への真ざしを放棄したうえで実在する減少であり、かつ、それ自体はたしかに自然のうちで起こっている。概略的形式がこの存在には内在しているのであり、おおよその姿でその反復があることはその自然である。自然にそう起こっているのだが、完全に同一の反復がなぜ実在せずに、概略的形式の反復なのか。かりにそうでなく、完全なる同一性にある反復の連続が実在するなら、それでは存在はびっしり張り巡らされて、それ以上動かない。反復が概略的形式であるのは、確かに何もが動いている証ではないか。

 形式的な反復がこの存在の埋めているのだが、形式にのっとった反復が少しずつ異なっていることは、存在が動いて、その震えにあることを意味するのではないか。海が波打っているように、存在はそれぞれがその震えにあるのではないか。形式のなかで意味的な循環をしながら、あるいは、その循環のなかに押し止められる力に反発するように震えているのではないか。