その302

 意識的に選択をせずとも、結果的に何かが決まっていく。自らの生きる道程において、とにかくいろんなことが決まっていく。存在する者として、一瞬、一瞬、結果を出し続けている。そのことに自覚的であるか否か。自らを基軸に考えて、導き出された結果は、その周辺への影響がある。つまり、自己は他者を決定する。あるいは、他者もまた自己を決定する。相互の連関において決定されていく。一方のみが関与する結果はない。一方のみが関与する結果があるように感じられるとき、それは、その認識の主体を自己に置き換え、ひとまずそういった認識をもったに過ぎない。起こった結果がいかなる現象を生んだかは容易には結論づけられない。一方的に存在すると感じられた結論には相応の意味があるが、その結論に至るできごとがそのように存在するのはそのように焦点を絞って認識しようとしたことによる。認識とはその限定性が本質ではないか。限定を行うことが原因で認識は実在する。非限定的な認識はそれ自体が常に動いていると考えられ、その認識を認識し切ることはできるのか。動いている認識がかりにその対象の運動と完全に同期するなら、その認識は存在そのものと部分的な同期にあるかもしれないが、その動きをそのまま認識可能だろうか。