その299

 地球上の存在のみを自然と呼ぶわけにはいかないのは、太陽が自然であると感じられるからだ。太陽は地球の外にあるが、私たちにとっての自然であるといった感覚がある。私たちの身体や他の生命もまた太陽からの影響の元にその自然たりえている。つまり、太陽は私たちの外部であり、かつ、内部である。自然である私たちの一部である太陽は自然である。

 宇宙空間にある太陽だけが自然なのではない。地球もまた宇宙空間にあるのであり、それ自体が自然ではないか。地球の全体が自然であるのに、その中身に自然ではないことがありうるのか。そう考えているに過ぎないのではないか。頭の中に自然とそうでないものがあっても、実際のところは、すべてが自然であると考えるほうが妥当ではないか。

 考えた結果、自然ではない何かがあるとしても、それは頭の中においてそうなのである。頭の中でそうあっても、実際はどうなのか、それはあるがままにある。何もかもが自然の流れのうちにある。それゆえに、実在可能なのではないか。

 自在するものはそれが自然の流れのうちに組み込まれ、その流れを請け負っていることが原因となって実在するのではないか。自然の流れに沿わないものは消えていくかもしれない。しかし、それが存在し、消えていくまでの間、それはあった。それがいかなるものでもあったのなら、自然の流れのうちにある。その流れにそぐわないものがあれば、やがては消える。それもまた自然の摂理ではないか。消えてしまったものは自然でなかったから消えたのではない。摂理に合わなかったから消えたのだ。摂理は現にある自然のうちに含まれて実在する。それが正しいかそうでないか。それは知らない。関係がない。それがそのようにあることが紛れもない自然であり、ただそのようにあることから始まっていく。そのようにあることが原因となって、自然は構成されている。現在の自然がまともかどうか、それは知らない。ただそのようにあることを受け止めるしかない。自然とは私たちの敵でもなければ味方でもない。そのようにあることそれ自体に悪も善もない。変転してくばかりだ。