その276

 存在それ自体において、今を意味する地点だけが実在するだけでは、存在それ自体が実在しないと考えられる。存在それ自体はその時間軸といかに関わり合って実在しているのか。時間軸の存在がいかにあるのか。今だけがあるようでは、存在は存在として実在し得ないのではないか。しかし、昨日の世界がどこかに実在しているとは考え難い。1時間後の世界も然り。であれば、存在の広がりはいつのことなのか。やはり、今において実在するのか。今とはどれほどの広がりにあるのか。しょせん、存在の広がりは、それがいかにあるか、感覚的に捉えられるしかないのか。いかにあるかが、いかに認識されるかであり、世界は私たちの認識内において実在するに過ぎないのかもしれない。認識して知っている世界とは別次元でほんとうの世界がピュシスとしてあるのではないか。私たちは認識外にでることができないのではないか。どこまで拡張していっても、認識の内側にしかいることができないのではないか。私たちが知っているのは私たちがいかに認識しているかに過ぎないのではないか。