その283

 存在していることがあって、それがどうなっているかを考えるわけである。どうなっているか、それを認識することで何かを知っている。ただそれでも、知りたいことや、知ろうとしたことが、欲望にそった方法でなされるとき、それは感覚的な肯定にあるが、それが事実そうなのかどうかは定かではない。欲望にそった知り方で知ったことが事実と思われる可能性は高いのではないか。欲望を肯定するような事実らしさに私たちは弱いのではないか。いったん肯定された欲望はそのまま、それにつきそった事実を真実としかねない。思ったことを事実としても、そう思ったことは別の次元にあるのが真実ではないか。そう思ったことはそう思いたかった可能性がある。そうしたいことを人は真実と考えがちではないか。事実は感覚的にある。