その14

 物があるばかりではなく、事がある。事が集まったのが物ではないか。物にならない事がある。事のまま物ではない。やがて物になるかもしれないが、物になった事はそれ以前の事とは違う。起こった事はすでに他の事になっている。物ではない事がいかにあるか。私たちの把握する事とはまず、言葉である。あらゆる言葉は事である。

 言葉が幾つあっても物は出来上がらない。先にあるのは物だが、物は事からできている。言葉ではない事である。何かが起こるその現象が事であり、事の総体が物である。世界を分けるのは物である以前に事である。私たちは物を認識できない。事を認識する。起こった事が事である言葉になるとき、事が起こっているのではあるが、言葉以前の事が起こっているのではない。言葉といった物質を介在に起こる現象とは何か。りんごの変化は物質の純粋な事的な運動であるが、言葉がどう紡がれるかは、物の変化ではない。言葉の運動は先にある物が基盤になった運動ではない。言葉の運動がゼロの状況から始まるのが物との運動の違いではないか。

 りんごはそのものがあったうえでの変化であり、連続的である。言葉は紡がれていきながらできあがっていく。りんごの変化はある瞬間を措定したときその次の変化は措定されたある瞬間を基盤に次がある。紡がれるといってもいいのか。言葉も同様に、ある語が紡がれたことを受けて次の言葉がくる。この現在とはりんごにとっても言葉にとっても同じであると考えたとき、次の瞬間もまたりんごにとっても言葉にとっても同じである。りんごが次のりんごになるとき、言葉が次の言葉が紡がれるとは限らない。文の途中でも、りんごのようには絶対的な変化にはない。物は動的な無限小の解放系であるが、言葉はちがう。物である言葉は完全な停止をするのではないか。