その21

 事物は私たちにとって非絶対的な状況にある。捉えられない何かである。ひとつのりんごは存在するが、そのままを捉えることはできない。私たちがりんごを眺めているとき、意識するしないに関わらず、りんごの変容を捉えていることになる。ありのままのりんごではない。私たちの機能に由来した見え方がりんごを通じてなされている。私たちが映し出したりんごを私たちが眺めている。手を伸ばせば触れ得ることのできるりんごは、私たちとりんごの間に感覚されたうえで実在する。りんごは私たちにとって、いかにしようとも、そのものからすると、距離がある。いかなる感触があるかは、私たちの機能性がもとにある。定まったりんごを私たちは知らない。触れ得た感触はりんごにとって何か。りんごの真実を私たちは触れ得ることができているのか。どのような質感であるかは、りんごだけが定めるのではない。りんごの感触は私たちとりんごのあいだにある。私たちでなければ、別の感触が生じるとき、りんごの感触はいくらもある。世界はひとつのりんごに対していくつもの感触をもっている。