その18

 世界には存在する限り、その何もが存在している。いかにあるか、その全ては分からない。分からないというか、分からないものがあることをまず知ることがない。存在のすべてに到達することはできない。何かを知ることはできる。一個のりんごであっても、そのすべてを知っているのか、知らないのか、その全容の把握が永遠に無理ではないか。りんごの全体とはそのりんごの実存におけるあらゆる事象の運動である。動いているものを動いているまま認識するしかないとき、止まらない数値を私たちは認識したと言えるだろうか。運動を続ける数を捉えることは可能だろうか。数になりきらない運動がある。数と数のあいだにも運動があるのではないか。運動はそれ自体が動いていることであるが、その一部始終が数に置き換わることはない。置き換わる瞬間とそうでない瞬間がある。つまり、一個のりんごでも捉え切れる領域とそうでない領域があるのではないか。捉えきれないりんごがはっきりと目の前にある。