その22

 私の数だけで世界には差異がある。同一の構造性からもたらされる現実は異なっている。仮に構造が完全に同一であっても、その中身の運動はどういった現実と向きあっているかで変わってくる。あらゆる相違でしかないそれぞれの現実の集積が存在する世界にその全体像はない。個別性が相互連関する存在世界は細かな反応系である。何かの存在が世界を示すのではない。何か存在が反応し合っている状況が示す世界に生きているのが私たちであり、反応系である私たちは外部と精神で連続している。精神の反応により私たちは世界を知っていく。何もがそのまま存在することを知るも知らないも関わりにないというほど、私たちの実在は世界にとって必須ではない。私たちは存在することで精神の働きが生じた。何のためだったか。知りたいのは単に生きるためか。存在のために知るべきこと以上のことを知ろうとするのが私たちではないか。何のために生存すること以上のことを知ろうとするのか。知的欲求とは、存在することの不可思議さと直結したうえで、私たちを駆動するのか。自らの存在の謎から解放される瞬間をもたない人間は永遠の神秘のなかを生きていくことを余儀なくされているのではないか。