その7

 物理的な非関係性は証明しきれない。明らかになっていないだけの可能性が永遠にある。分かったことが世界の全体からするとどれほどまでのことか。世界の全体像ではなく、私たちの知の全体像すら見えてこない。分からないのではないし、ひとつずつ分かっていくことがある。何かが分かったとき、付随して分からないことが浮上することがある。何を分かっていないかを知らないとき、私たちの知の全貌は完全に闇のなかにある。

 私たちだけが知を所有するのではない。世界が知の集積である。私たちが生み出す知がありつつも、すでに世界は知が存在することが、世界の存在理由となっている。なぜ世界があるのかは、世界が知的な営みを送りながら姿を変えているからだと考えられる。思考は私たちに特有ではない。万物は思考の形式により生まれる事実の総体である。りんごがりんごであるのはその思考の形式に由来する。思考とは運動である。いかなる運動の法則をもつかが、りんごか、バナナかの違いを生む。思考といった前提状況のなかに数えきれないほどの形式がある。