その579

 さらなる関係にあるにも関わらず、その関係を除外した上で成立する認識とは、いかなる存在か。認識Aが成立するためには、さらにあるはずの関係性を除外する必要があるのか。除外する力が働くこととは、閉ざす力を意味する。閉ざす力によって成立するのが認識であり、全く同時に世界が物質的な次元においても閉ざす力によって成立しているのか。閉ざす力によって成立する何か。何かとは何かの認識であり、あるいは、何かそれ自体、たとえばりんごだったりする。りんごがりんごとして成立することと、認識が認識として成立することには等しく閉鎖力が働いているのではないか。認識も物質だ。何らかの反応が起こった上で成立する物質ではないか。縁起によってりんごが生じるように、縁起によって認識もできあがる。意識のうちで構成された物質として存在するのが認識ではないか。リンゴをリンゴとして存在させるために働く閉鎖力のように、認識もまた認識として成立するように閉鎖力が働いているのではないか。認識を可能にする合理性とは閉ざす力によって生じる。閉ざす力が認識内になければ、合理的な認識は生じない。すべからく世界は閉ざす力によって支配されているのではないか。例外はなく、存在する限りの現象のすべてに対して閉鎖力が働いているのではないか。