その586

 何かがあれば世界はある。ごくわずかにであってもだ。ごくわずかにでも何かがあれば、それは世界だ。大きいから世界というのではない。ごくわずかな小さな存在であっても、それがあれば世界は存在する。むろん、私たちは世界がいかにあるかを模索しているのであり、世界はそれがどんなものであっても、何かしらの状況にある。何かしらの状況にある世界には何かしらの状態があることがありうる。何らかの状況としての姿があるなかで、何かしらの状態をもった何かがあるとき、そこに秩序の発生が見られないか。秩序の発生した世界には数学がある。類似の何かがいくつもあることで数えることそれ自体が成立する。同一律により紡がれる数学世界とは、そのような物語だ。同一律の成立はなぜ可能か。それはこの世界が姿だけでなく、形を持っているからで、形を持っている世界とはその反復にある。反復にある世界は世界の内在する力である閉鎖力によるのではないか。閉ざす力が存在を支配するとき、世界は反復し、類似の何かを再生産していく。かりに閉ざす力がない世界を想像してみると、あるいは、世界には何も存在できないのではないか。閉ざしゆく力によって、あるものが押し留められてある。何かが存在し拡散していく力を押しとどめることで何かが具体的にある。この世界の具体性は世界を有限たるものとするための閉ざす力による。閉鎖力だ。無限拡散する力を押し止めなければ、何かがあっても、何も具体的にないのではないか。