その584

 円の軌道がかりにあったとして、それはエネルギーにより出来ている。円の起動は理論上は無限だが、その実在のためにはエネルギーが必要となる。無限のエネルギーがあるかどうかそれは知らない。いや、無限のエネルギーはないといった方が適当だ。ありとあらゆるエネルギーが途絶えたとき、すべては消滅する。むろん、エネルギーは世界の外部にあるのではない。何かに対して、外部からのエネルギーが加えられるその現象とは何か。何かを動かすためのエネルギーが何かの外部からもたらされること自体、何かがあって、それはそれ自体であることを意味するのではないか。何かにとって完全に切り離された何かがあることの意味とは何か。何かにとって、その外部においてエネルギーとして働く何かが、相互に距離のある場にあったとしても、その関係性のうえではつながり合っている。離れていても、触れ合うことがあれば、相互に反応し合うことで、そこに意味が生じる。相互に触れ合ったとしても、エネルギーとなるかならないかにおいて、相互の反応における意味は異なる。自動車に水を注いでも一切動かない。エネルギーとはならない。エネルギーがエネルギーとなるためには、そのための反応がいる。何かそれ自体はそれ自体の内側で反応しているがゆえにそれ自体として実在する。エネルギー体として実在する。それはそれ自体として実在するための反応がうまくいっていることを意味する。りんごがりんごとして実在するためにはそのりんごのための適切な反応があった。エネルギー体となったりんごは内側だけでうまく反応している。