その585

 世界の外部にエネルギーがあり、世界の外部から世界へとエネルギーが与えられているのでない限り、世界はそれ自体がエネルギーである。エネルギーとはすなわち運動のことであり、運動は、ただ何かがあることにおいて生じる現象であり、ただ何かがあればそれはすべて運動状態にある。運動状態にある何かは何かであることを一定時間つづける。あるいは、その何かの具体的な実在はそれ自体として安定した時間を紡いでいるのではないか。何かが何かであることはこの世界に安定をもたらしている。何かが何かであるのは一個の秩序だ。むろん、秩序は動的であり、動的でありながら秩序を保っている。バランスをとっているといっても過言ではない。なぜ何かとしてバランスがとれるのか、それはある種、世界には閉ざす力といったものがあるからではないか。閉ざす力抜きに、この世界が現在のようにあることの説明はできないのではないか。世界で起こっている現象のいたるところに閉ざす力が働いている。我々の身体であっても、閉ざす力によって成り立っているのではないか。閉ざされていることにおいてバランスが発生している。閉ざす力が働いていない世界には構造がなく、形もない。そうではないか。姿はあるかもしれない。なんらかの姿があっても構造をもつことがなければ形にはならない。世界は閉ざされており、その意味で自由ではない。