その580

 閉ざされていること、それゆえに起こる現象を閉ざす力によって理解しているのが実情ではないか。認識対象だけが閉ざされているだけではなく、認識それ自体も閉ざすことであり得ている。この世界のうちにある何かで一つでも閉ざされていないことはあるのだろうか。いや、実無限が閉ざされていないか。無限の広がりにある。πは果てしなく続いていくことで成立する概念である。しかし、それだってπであることにおいて閉ざされている。完全に閉ざされているからπは成立する。πが無限であることとはつまり、動き続けていることを意味している。動きが止まらない概念であるπとは、一個のりんごがそれが実在するために動き続けていることに似る。何が違うかとなれば、とあるりんごはやがて消え去るが、πは世界がある限りにおいて実在し続ける、なかば永遠の実在だ。りんごのようにπもまた自然の実在だ。始まりがあって終わりがあるのが自然だと考えるが、πそれ自体の内実ではなく、πそのものが世界が存続するにも関わらず都合が悪くなることがあり得るのか。πが示す数値が自然世界にそぐわなくなることがあるなら、πもまた自然の摂理となるがいかに。