その212

 場がある。それは、変動にあるが、なんらかの秩序にある。秩序を示したのが場であるのか。場として認識されるためには秩序がいるのではないか。存在するが場を持っていない存在がある。場としての存在と、場として存在しない存在がある。秩序を示す場の中にある存在はそのすべてが場に含まれるのか。存在はそのいかなるところも場として実在するのか。秩序の寄せ集めが存在なのか。それぞれが固有の場を存在のうちに占めているのか。運動するAや運動するB などなどが集まって存在する時空を作っているのか。場とは時空のことであり、かつ、個別にある、それぞれの固有性がその意味か。場があるから存在することができるのか。存在する秩序があるから場があるのか。存在が示そうとする秩序の存在が場を生んでいると考えるほうに妥当性がある。集まって結束を示す現象が起こることが場を実在させているのである。いや、時空には場といった現象が起こることが前提で存在がそこに投じられていると。であれば、かりに個物が実在せずとも、場は存在する。いや、場が存在する時点で私たちには認識不可能な個物性が実在するのではないか。個物とは何も認識可能なものばかりではない。認識可能な個物のみが個物であると考えることには、幻想がある。つねに知らない現象が起こっている。それをどう捉えるか。それは認識の仕方にある。私たちは存在する世界のなかで、固有の認識を持って生きている。それがすべての現象を捉えるのではないのは言うまでもない。