その219

 存在はその過去においてもあったし、現にいまもある。おそらく明日にも何かがある。ただ何かがあったことは明らかであっても、それがいかなるものであったかについては、部分しかわからないのではないか。リアルタイムで関係性の連鎖を把握できなかったとき、その再現は不可能でしかない。りんごが昨日テーブルのうえに置かれてあった事実は理解されても、それがいかにあるかについて、その関係性それ自体を情報空間のなかで再現することはできない。存在とはその情報性のことではないか。情報としての存在がいかなる性質をもったうえで存在しているのか。探求されるべきは、情報の性質であり、存在について知ることは、対象となる存在にまつわる情報の全容である。認識対象となった存在にはその全体はあるのか。認識対象に全体があるといったことの意味するところは、つまり、認識に全体があることを意味するのではないか。対象それ自体に全体があることは意味しないのではないか。認識の全体とは認識の限界を意味する可能性がある。