その221

 個別の世界観が相互に関係しながら、存在を埋め尽くしている。存在は個別の認識の総体ではない。個別の認識の総体とともに、何かしらの存在がある。認識そのものは物理的な現象であって、その実物は物質レベルで実在するのではない。世界の見え方がいくらもあるに過ぎない。むろん、その見え方が存在のあり方へと影響を与えるのである。いかに見えているか。いくつもの見え方がある世界の実質的な丸裸は認識できない。認識できるのは、そう見たいといった欲望に駆動された結果ではないか。生き物はそのすべてになんらかの主体性があり、それを生きるための欲望と呼んだとき、その欲望が駆動して、存在を捉える。何があるから見え方が実在するのか。欲望があるから、その身体の頸木からくる見え方を獲得するのではないか。それが正しいとか間違っているとかというのではない。そう見るより他はない。そう見えてしまう。それは身体のあり方の限界からくるのかもしれない。それぞれの生物の認識に身体依存性がどこまであるのか。