その226

 1の次の瞬間に2になる状況においては、1であることと、2であることは、それぞれ独立した状況にある。何かが一個あることで、その存在を指して1とする。1があるのではなく、1個の存在あるから、1がある。2もまた、2個存在する何かがあることで、2といった数字がその実在となる。数だけ増やしていくことは可能で、その対象がまったくどこにもない数もまた実在する可能性がある。存在はその有限にあるが、数はどこまでも増えることが可能だが、増えるためには時間を必要とする。時間のなかで実在する数はその有限にある。

 いきなり無限が存在することはあり得ない。存在は時間のなかで動いている。徐々に無限に近づいていく数があるわけではない。無限とは、それが存在するなら、存在を超えた何かである。存在を超えて尚存在するものがあるだろうか。存在するものは存在し、存在しないものは存在しないし、存在する可能性として、私たちの精神のうちにある。存在可能性として、考えたとしても、無限は実在しないのではないか。可能性として一切、その実在と考えられないことが無限ではないか。際限なく増加はする。しかし、それは何かがあることが前提である。何もなくなったとき、数はそれ以上増えることがない。何かが在るなら、増加可能性は途切れることはない。いままでに実在した存在のうちで、もっとも多くあった何かがある。それが何で、いくつあったか、確認することはできないかもしれないが、実際にあったものは確かにその数としてあったはずだ。存在はそれ以上に多い数に至る増加可能性をもつ。数が増えるためには、数だけが増えることは可能か。どうなれば数だけが増えるのか。数えることなくして増えないのであれば、数を増やす機材があればいいのか。ひたすら数を数えて増やす機械があれば、数だけが増える。実在する個物の数の最大よりか、いっそう多い数が数えられた痕跡を刻む。数えれたか否か。到達したか否か。問われているのははっきりと数として刻まれた痕跡が一度でもこの存在のうちにあったかである。言葉になったか否かのように、数字になったか否かが問われているのである。

 限りなく増えていく増加可能性は存在がある限りなくならない。それでも無限ではない。無限とは際限のなさだが、再現もなく存在が広がっているのではない以上、存在は無限に実在しないし、数もまた存在に含まれる物事である以上、増加可能性はあっても再現なく実在するわけではない。可能性としての無限は実在するが、実在としての無限は存在することはない。