その624

 ある瞬間に何かが完成することはない。どんな瞬間も未完のままだ。それは、ある瞬間を完全に捉え切ることができないからだろうか。認識はそれ自体として成立することでその意味をもつ。そのようであることに意味があるが、それは認識対象におけるそのすべてではない。認識が実際に世界をありのまま捉えているのではない。認識主体それ自体が実在し、その主体はそれぞれが刻々と世界との関係のもと、認識を生んでいる。それぞれの認識は世界を断片化した結果であり、認識する側と認識される側はその両方に、その認識の原因がある。生じたある認識の原因は認識主体にあり、同時に、認識対象にある。