その603

 未来から過去に時間が流れている。そう言われることがある。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。時間は存在しないとも言われ、それは単に認識内における事実にすぎず、いや、時間は存在しないといった意味が認識内における限定的な話に過ぎず、つまり単に認識できないから時間はないといっているに過ぎないのかもしれない。認識できずともあるものはある。かりに、時間が存在しないとロジックで証明されたとしても、一般に思われている時間の流れはやはりあるかもしれない。もちろん、ないかもしれない。

 時間があるならどのように動いているのか。未来から過去へ向かって流れているなら、未来には何かがある。すでに何かが実在していることになる。固定した決定論ではなくとも、たとえばわれわれは自らで自らの向かう道を決めているようでいて、それ以前に何かによって決められている可能性がないか。たとえば、海の波がそのようになっていることにそれぞれの波に内在する意味とともにその波以外の何かが関わっていて、認識不可能なカオスにある状況のなかで波が波打っている。われわれもまたそのようなカオスにある状況の一員のはずだ。自分でやっているようでいて、実際にはどうなのだろうか。