その617

 世界を認識したその認識がなぜ成立するのか。認識は認識内において完結している。つまり、閉じているのだ。すべての認識は閉じている。閉じているから具体的にある。それはりんご一個であっても、そうではないか。閉じているから具体的にある。むろん、閉じているものは開かれている。開かれているといった意味は、それが運動していること表す。動的な実在はそれ自体の外部との関係にある。運動しながらさまざまなものと関わり合いながら、その変化にある。そのものが関係する領域があり、それは世界のすべてではないのではないか。ある個体を主体に定めたとき、その個体が関係するのは世界の部分であり全体ではないのではないか。

 閉じているから成立する認識はなぜ、それ以上の関係にある世界のなかで成立してしまうのか。