その611

 つまり我々は可能性の中を生きているのかもしれない。認識していることのすべてが厳密には可能性でしかないとき、我々は自らの打ち立てた可能性の中を生きている。事実というもののすべてが信仰であり、実質的には可能性でしかないのではないか。すべての事実が事実でありながら可能性であることとは、可能性としての事実を信じていることになる。信じることで可能性でしかないことが事実となる。