その104

 在るとは、存在することで、存在しないことではない。何かが在れば、それを認識する主体がなくても、在るものはある。私たちの存在は確かに認識主体としての実在であり、自ら以外の実在を存在すると認めることができる。遠くに星があることを確かに知っている。どこまで世界があるか、それを考えている。存在はするが認識主体としての機能がないのであれば、その場に在るだけなのではないか。外部との関わりはある。関わりがある時点で、外部を認識していると考えられる。認識とは何か。見るだけではない。聞くだけではない。触れるだけでもない。関係性が築かれた時点で、認識の運動は発生したことになるのではないか。私たちの機能にはない認識のあり方が私たち以外の存在にはあると考えられる。