その113

 そのものそれ自体が実際にある姿を見つめることはできない。認識は機能に由来した上での実在であり、機能とは存在に対する定義であり、認識主体の実在がなければ、何も存在し得ないのではない。存在は私たちの支配下にあるのではない。存在が私たちを支配下におくと考えたほうが適当ではないか。存在することが私たちを存在させているのであり、私たちが何かを存在させているのではない。存在の関係性のなかの一部として私たちがいる。あるがままある存在の一部である私たちが特別というのではない。カケラである私たちは存在するための契機を自己の外部に持つ。自己の外部と自己の内部の反応により、存在可能となっている私たちは自律的な運動をする系としての生命現象それ自体である。