その105

 主体としての個は人間以外にも実在し、個の実在が主体を意味するとしたとき、主体の実在はその外部との関係性を実在させる縁となる。関係性があると考えることは、なんらかの主体がまず実在しないといけない。関係性だけがあるのではない。それぞれの場を主体としたときに、関係性の根底が実在することになる。関係性の根底があるのは、認識があるからである。認識が実在しなければ、存在の一切はたんなる運動でしかないのではないか。運動のありようを捉えることがないとき、存在には関係性すら実在しないのではないか。関係性とはそれ自体が認識ではないか。