その98

 総合を認識しようとするとき、総合の存在が問われるが、認識が総合的にできあがった感があっても、そう感じられたのみで、実際上、ほんとうに認識が総合そのままに出来上がったのか。認識とは設けられた範疇ではないか。認識とはほんらい、対象それ自体であるが、対象とは動的であり、認識を行うことと完全には同期しないのではないか。認識が即座に現実そのものではない。認識とは現実からすると、少し遅れをとったうえでその実在となる。私たちは認識界にいるのではないか。もともともある存在を基盤にしたうえで実在しているのは認識界ではないか。