その101

 正しいことのみのが認識されるのではない。現実において誤った認識も私たちの実存において実在することがフィシスに含まれる。私たちが何を思ってもそれはフィシスである。誤っているか正しいかはフィシスにとっては関係がない。在るものはある。私たちが何かを思った事実がある。思った数だけ、認識に至るまでの現実がある。思っていないことさえも現実に実在する可能性があるのは、思っていると気がついていないことも行動に現れることがあるからだ。意識にのぼってこないからといっても、現実に存在しない思念であるというのではない。現実は何によって構築されるのかと考えたとき、そのすべてはフィシスであると考えられないか。フィシスとはそれが存在するというのではない。フィシス自体は観念であり、私たちがその姿を捉えることはできない。捉えることのできない実在をそれでもあると考えることとは、存在の根底について思念を及ばせることを意味する。その全体を知ることのないフィシスはそれがあるから私たちは確かに存在しているのだ。それは不可能だが、それでもどこまでも遡っていくことでいつしか辿りつくことのできる存在の根幹があるはずだ。イメージではない実質としてあるはずのフィシスは夢ではない現実だ。